つつうら

社会人/躁鬱障害/重鬱経験有/ 生きづらい性格をしている、日本人には多い共感力のたけた人。 やりたいことをやって、後悔のない生き方をしたい。 そんな人間の独り言。

つつうら

社会人/躁鬱障害/重鬱経験有/ 生きづらい性格をしている、日本人には多い共感力のたけた人。 やりたいことをやって、後悔のない生き方をしたい。 そんな人間の独り言。

最近の記事

やることリスト

#未来のためにできること 死ぬために生きる。 私のダイアリーノートにあるのは「死ぬ前にやることリスト」だ。 その名前の通り、生きているうちに絶対経験しておきたいことを思いついたら書いている。 重鬱なんて奴に襲われて自分の世界が溝みたいに見えていた頃は、「今死んでも何の後悔もない」なんて、悟った風を装っていた。 それが回り回って今の私は「死ぬ間際、これやってなかった!」と後悔をしながら死にたいと生きている。 これは私の切れることのできない希死念慮とやらと向き合うための最大

    • 最近の死にたいは

      久しぶりにnoteを開いた。1年程、私は回復している。希死念慮は相変わらずだが、上手く付き合って生きている。 普段飲んだり話したりをしたことない人達と酒を飲みかわし話が盛り上がる。その楽しさに浸るたび希死念慮が隣り合わせ。なんて楽しい日だろう今はなんて楽しい人生だろう死ぬなら今しかないと度々思ってしまう。 今死ねば楽しいことを最期に、楽しい先の未来を勿体なぶりながら死ねるのだ。そんな素敵な終わりはない。いや、でもいつもそんなことを言って次の楽しいは前の楽しいを超えてくるのだ。

      • ひとりごと、疲

        時折、人と対話することに酷く疲れを感じることがある。私はお喋りな人間なはずなのだ。おまけに人を笑かす道化もひけらかす質にあるというのに、ふと糸が切れたかのように、疲れる。手足の先が鉛のように重たくなり、顔の筋肉は全て剥がれ落ちて能面となる。今こうして文字を打つのすら億劫なほどだ。こうした感覚に陥る度に、私は外での私を繕い生きているのだと実感する。親しいものには猫かぶりだと言われ、表面しか知らぬものには世渡り上手と言われる私だが、その全ては無自覚に行われる言わば呼吸や瞬きとそう

        • カーディオグラム

          「…──私の波。」 静謐に満ちた空気を破ったのは彼女の声だ。 室内に響く機械の音よりも小さい声で、聴き逃したって不思議ではなかった、と思う。 ただ、僕の耳はその声をちゃんと拾っていた。彼女の呼吸音も心音も、とりこぼしたことのないの僕の耳だから、あたりまえだ。 「……何が?」 一拍、二拍。三拍は長すぎるから、このあたりで口を開く。機械の鳴らす音の間に挟むようにして、声を発した。僕の声に彼女の表情は、……ああ、やはり無意識にこぼれた言葉だったのか。彼女は、驚いた猫のよう

        マガジン

        • ガラスコップシリーズ
          5本

        記事

          うまれかわり

           初めて髪を染めたのは大学生の頃だ。昔から憧れていた人魚姫に因んで赤に染めたいと、このときを待ち詫びていた。赤色なんて目立つから辞めなさいと親に言われたが、私は目立ちたいから構わないとあしらった。 見た目に似合わない乱暴でガサツな性格を取り繕うべく私は生きていかたが、それでも根本は変わってなどいない。常に劇的なドラマに焦がれ、自分は何かの主人公になると思い込んでいた自己主張ばかりが強い子供の性根は。長いこと封じ込め生涯貫く表の顔でも、せめて髪だけは自分を晒させてもいいだろう。

          うまれかわり

          二十半ば、女

          「斉藤さんのお子さん今年から入園らしいよ。」「言ってたね。ママ友グループに入れるか怖いって。確かにああいうの嫌よね。」 「おばさんは入りづらいだろうしそういうグループに入るなら私たちくらいの年齢が丁度いいよね。」 「……え、どうだろ。逆に若すぎるんじゃない?」  同僚の顔に怪訝さが垣間見えた。この返答は良くなかったかもしれないと思ったが、本心から思わず出てしまった言葉は取り消せない。社会人になって三年、二十代前半をもうすぐ終えようとしている私たちの話題の終着点は毎度のこと同

          二十半ば、女

          徒然なる日記

          ここも暫く開いていない。思考を文章に起こすことすら億劫になっていた、ということもあるが、思考を書き起すよりも論文を書いたり仕事をしたり、忙しかったからだ。 思考の渋滞が怒らないように、考えないでいいことをしたらよい。医者の言われるがままに、旅をしたり、絵を描いたり、食を食べたり、論文を書いたり…行動には思考が付き物で忙しい。しかし、たしかに、自己の押し問答に費やす時間がないぶん、「考える時間」はない。 それが楽だと詰め込み続けて現在。 考えているわけではないのに、どうも

          徒然なる日記

          異性の友人関係。終わりは変化から。

          異性の友達は成り立たないという話。 歳を重ねるごとにそうかもしれないなんて思うようになった。 私は、異性でも友人として扱うことがある。 愚痴も自身のことも取り繕った皮を剥いで零す…有り触れた友人関係。相手にも私同様友人というラインが引かれているとわかるとわかる。 それが心地がよく楽しい。 が、そんな友人関係を繰り返せば、不思議に奇妙な変化が訪れる。 きっかけは、相手の反応や誘い。 最初は食事。次は遊園地や美術館。そして次には、 旅行に行かない? 君はそういう

          異性の友人関係。終わりは変化から。

          最近の調子。

          売上低迷の飲食店員が辛いと嘆けば、みんな辛いと罵るSNS。電車の放火殺人に感化される愚者とそれを非難する正義。親ガチャだなんだと産んでやった親に対してそんなこというやつはなんだと若者を愚痴る父親。 嫌い。辛いと口にした人間の口を塞ぐやつも、それをニュースに取り上げるやつも。 嫌い。絶望の挙句の最悪を、浅はかに実行できてしまうやつも。そんなやつは一人で死ねと悪であればと平気で罵るやつも。 嫌い。産んでやったと見返りを求め、親への感謝こそ正しいと矯正するやつも。そんなことを

          最近の調子。

          無題

          攪拌されたみたいに脳が溶けて思考が停止して、文章らしい文章にまとめることのできない最近。 最早死にたいやらそれを実行しようやら、そういった類の思惑に対する恐怖すらわからなくなりつある毎晩。 落ち着いているのか、落ちきっているのか、よくわからなくなってきた。

          垂れ流し

          解離してしまう何かを押し留めるように、涙を流さないでいる現状。涙はなくとも何か吹き出してしまいそうな症状。 しばらくまた文章という文章が、というよりも思考そのものが浮かばなくなっていた。病むおえず、何処に吐き出されることもない絵を描き殴るだけの日々。それも次第に虚しさを増した。 嗚呼、これは、また今回も駄目なのかもしれない。 泣きたくなることがあったわけでもない。泣いたわけでもない。泣かなくてはならないわけでもない。それなのに、どうしてか。目頭が熱い。瞼が重たい。頭が痛

          ガラスコップを割ってやった日記。

          開いた傘をそのままに、坂を下る。宛ら追っ手から逃れんとする犯罪者のように。  今日は早朝から、雨が降っていた。雨の日。雨音も鉛空も、嫌いではない。然し、軋むような偏頭痛があるから、どうしても好きにはなれない。一層の気鬱さから、私は二度寝に耽る。二度目の起床は、比較的早く覚めた。今日の目的を思い出したからだ。 私は起き上がると、身体に纏わりついた倦怠感を振り落とすべく、挽きたての珈琲豆を使った珈琲を飲み干す。 最近の私は、雨の日外に出る程度に抵抗はない。寧ろ濡れてやろうか等と

          ガラスコップを割ってやった日記。

          疲れたから、休むだけ。今日は。

          自傷行為にも似た靴擦れの跡が痛む。 疲れたから、今日は休もう。 今日の日記を書こうと考えたが、疲弊も相俟って調子がよくなかった。満喫し、充実した一日をそんな状態で綴るのは何だか惜しまれるから、それはまた次回書くことにする。代わりに今日滔々と巡る陰鬱な汚れを吐き出すだけ。頭にこびり付く被害妄想の産物を書き出すだけの散文。 私は、常々身内や親しい者に、言われることがある。達成したことがないから、成功したことがないから、お前はそんなにも無気力なのだと。 まさしく、図星である

          疲れたから、休むだけ。今日は。

          鬱病患者、ガラスコップの旅にでた。その日記。

          旅というか、家出というか。何というのか。 夕方突如思い立った故の一人旅。直前に予約して素泊まりできるのはこんな山奥にしかなかった。帽子に長い髪を丸め込み、男装ぶった格好で歩く道すがら。街頭の少ない峠を上り、漸くして辿りついた宿舎。いやはや、それにしても…着いてしまった。途中道の暗さに身も震えたが、月を見上げては安堵と感嘆。                                      フロントでのチェックインも済ませた私は、早速髪を振りほどきベッドに転がり、この

          鬱病患者、ガラスコップの旅にでた。その日記。

          海から帰った後。眠る前に綴じる日記。

          前途多難ながらも、何とか海に辿り着いた私。そして、ガラスコップに言葉を綴った私。というのが、今日旅もどきを試みた私の成果。 以下に残すは、その成果の日記。誰に届けるわけでもないが。達成感を忘れないために日記の続きを書いておく。 まず、海は案の定、寒かった。 吹く風は強風だ。潮の匂いを纏う強風に水飛沫が霧となり我が身を襲う。そして何より海は、酷い。荒波に白泡を吹かせ、青や透明より黒に近い水が押して引いてを繰り返していた。やはり、都会の海は汚いものだ。 来る道自らの不幸体質(

          海から帰った後。眠る前に綴じる日記。

          海に向かう道にて。雨宿り中の日記。

          これまでの日々が嘘のように、寒い今日。 昨夜の雨が熱を奪ってしまったらしいと、朝方から珈琲を入れながら。 薬を飲み、思考の安定を待つこと数時間。はたと、旅に行く練習がてら散歩に行くことを閃いた。 目的地は、海。以前の散歩をSNSで呟いたとき、「海に行きたい」という同胞の呟きが流れたのを思い出したから。家族には寒いだろうと笑われたが、だからこそなのだと息を巻いて荷物を抱えた。 寒い海は人が少ないから、寂しいから、きっと一人になれる。そこで昨日買ったガラスコップに散歩道に浮かんだ

          海に向かう道にて。雨宿り中の日記。