海に向かう道にて。雨宿り中の日記。
これまでの日々が嘘のように、寒い今日。
昨夜の雨が熱を奪ってしまったらしいと、朝方から珈琲を入れながら。
薬を飲み、思考の安定を待つこと数時間。はたと、旅に行く練習がてら散歩に行くことを閃いた。
目的地は、海。以前の散歩をSNSで呟いたとき、「海に行きたい」という同胞の呟きが流れたのを思い出したから。家族には寒いだろうと笑われたが、だからこそなのだと息を巻いて荷物を抱えた。
寒い海は人が少ないから、寂しいから、きっと一人になれる。そこで昨日買ったガラスコップに散歩道に浮かんだことを書きながらのんびりしようと、考えた。
出発。
僅かに雲は多いが、青空は健在。
それでも晴れた予報を無視した雨に降られることが多い私は、晴雨兼用の傘も持っていた。念には念を。
さて、真っ直ぐ海に向かうのもいいが、この際だ。とある目論見をさらに叶えてやろうという、寄り道一つ。
生まれて初めて煙草屋に入り、そこで珈琲の香りのする煙草を買った。
勿論、煙草は吸ったことはない。
家族が駄目だと言ったからだ。何より、喫煙者である兄は、私が嗜好品の中毒性に溺れる性分にあることを指摘し、留めた。
だから吸わない。代わりに許されていた酒は、以前まで嗜んでいたものの。今は医者から止められているため飲めないでいる。
そんな煙草を、今日は買ってやった。
前々から気になっていた種類の煙草。
然し、それだけで、ライターは買わなかった。止められていたからとかではなく、端からまだ吸う予定はないのだ。
此奴のビニールを切るのは、それこそ、自分を諦めたときだ。まだ諦めない。そう言った決起と自戒のための煙草だった。
満足した私は、本来の目的地へと向かうべく、スマートフォンの地図を開く。ついでに音楽を流すか迷っていた矢先、騒音が耳を刺した。
何事かと、見上げた目線の先は道路。大音量の国歌と悪意と暴力に満ちた言葉の羅列が、スピーカーから流れていた。何かしらの政か、催事か……世情に疎い私はすぐ様SNSで調べる。ヒットしたのは、#ヘイトパトロール。詳しくはわからないが、ヘイトスピーチやヘイトクライムの類か。
何、人皆それぞれ。それに対する批判も賞賛も私にはない。ただ然し、このタイミングに当たってしまう自らの不運は呪った。致し方なくイヤフォンで耳に蓋をする。外して歩きたかったイヤフォンは、外せないまま、車の隊列と音が遠のくまで私は歩いた。
ようやくして、街路樹の続く道。
人気は少なく、ヘイトの波は届かない。安堵の息を吐いてイヤフォンを外せば、微かだが、まだ遠く彼等の声が聞こえた。
この都会に、人がいないところはないから仕方ない。遠のいただけマシなのだ。比較的騒音から逃げ仰せたとなれば、それでいい。
そうしてまた、海へと向かう道を歩く。
歩き続ける先の空が黒いことに気がついた。海に近づけば近づくほど風は強まった。かなり寒い。想像以上に寒い。厚手のパーカーを着たというのに、寒い。だが、目的地はもう少しだと、私は歩く。
私が目的地に近づくほどに、雲はさらに黒く染まり、澱み、重くなり、軈て雨雲と変わった。
そして、雨粒が落ちる。
タイミングとしては、丁度海の手前。土産屋や観光案内の詰まった施設に入ったところで、災難自体は逃れた。
寒さに耐えかねた私は、暖かい紅茶を買う。珈琲がよかったが、これ以上飲めばお腹を壊してしまうからやめておいた。
購入前に最寄りのベンチに空きを見つけたから、腰掛けて休もうとテイクアウトを選ぶ。戻ったベンチは、満席だった。
仕方ない。
止むおえず、座ることは諦めた。
そろそろ雨も止んだだろうと、外に出る。雨は止んでいた。いや、何故なのか。私が出ればまた降り出した。相変わらず、一体全体私はなんという雨降らしなのだろうか。
仕方ない。仕方ない。
そう唱えて、さらに別の施設へと向かう。次こそ見つけた休憩所にて、漸く腰掛ける。同様に、雨風を凌いで逃げ込んだ人達の群れ。ここでガラスコップに書くことは難しかろうと、病むおえずスマートフォンのメモを開き、この日記を綴る。
今に至る。
背後に外国人留学生たちが語らう。
イートインスペースのゴミを捨てるスタッフ。
親子連れ。子供たちが鳴らす鈴の音は無邪気。親は雨が止んだうちに帰ろうかと呟く。
その声に窓の外を見れば、陽光が差し込みはじめていた。まだ黒雲は流れきっていないから、もしかすれば私が出れば降るかもしれない。
今日は、自由のための決起だったというのにこの有様。私はとことんツいていないなと思う。でもまだ、海には辿り着いていない。もう少し雲が風に流されれば、私はこの日記を閉じて、海へと向かおうと思う。
それで、昨日のガラスコップに好きなことを書いてやる。絶対だ。