その1 どうやって復学に導くの?メンタルフレンド活動のプロセス。 前編

(書き出しから1年経ち、今は2023年の春なんですよね‥)
※ちなみに登場人物の名前は全てフェイクです。

当時大学5年生だった自分。
メンタルフレンドを始めたのは就職も奇跡的に見つかり、大学生活最後の秋を迎えている頃だった。
5年生なので友達もみんな去年に卒業し、平日は働いている。友達と遊ぶ事はなく、暇な大学最後の後期だ。

‥はずだった。これまで、ちゃんとしていれば。

しかし私は5年生になっても(これまで単位を落としすぎた故に)絶対に落とせない単位を無事取得し卒業するべく、最後の後期といえど余裕のない生活を送っていた。

まあ、私の卒業ギャンブル状態はどうでもいいのだ。
なんにせよそんな状況でも全く時間がないわけではなかったので、週2-3のメンタルフレンドの活動をする時間は多分にあった。
メンタルフレンドの活動を行うにあたり、まずは母に声をかけてくれた田中さんにご挨拶をすることとなった。

自分の訪問可能頻度
訪問する学生の簡単な状況
訪問にあたりどのようにすべきか
訪問費用について(アルバイトなので)

といったことをまずはLINE上で簡単にやりとりをした。

家庭への訪問のペースの理想としては平日週2,3回のペースで、というお話であった。土日は家族が家にいるため向かわず、基本的には平日の本来登校をしている昼間の時間帯に訪問することが求められていたためである。

その後田中さんの所属している機関の事務局長の森さんという方がおり、森さんが直接保護者の方とやり取りをされていることもあり次にお話を聞くこととなった。

ここまで一体どのように彼らを再登校へと導くのだ?と謎を抱えていた私は、いよいよそのプロセスを知ることとなる。

とても簡単に言うと、復学するためのきっかけを外部の働きかけにより半ば強引に生み出すのである。

前触れもなくある日、不登校の学生の元に不登校を取り締まっている機関の担当者が家にやってくる。
学生を目の前に座らせて、事の次第を伝えていく。
不登校の学生には、義務教育を果たさない以上それ相応のペナルティがある。
親元を離れてそうした不登校の学生を集めた、ネットも制限された成人するまで出られない山奥の教育機関で過ごすか、もしくはこれまでの様に学校に再び通うか。

張り詰めた雰囲気の中、いきなりやってきた怖い形相のおじさんが問い詰めるのである。
事の顛末を知っている私でも、それはそれは恐ろしい迫真の瞬間である。

‥そんなこんなで学生はこれまでの様に学校に通う事を選ぶきっかけを得るのである。
メンタルフレンドはその来たる日の数ヶ月前から彼らの元に通い、そして復学に向けて大凡定められたプロセスを共に進めていく。無事に彼らが復学をし、学校や宿題が忙しいから放課後、今日は来なくてもいいよとなる頃、メンタルフレンドの活動は終わりになる。


それにしてもメンタルフレンドというぐらいであるから、本人の意思や考えを時間をかけて深く汲み取り、紐解き、自らの意思で再登校を促すことを当初想定していた私にはいささか衝撃的であった。


ただ、これまで長いこと学校を休んでいるのに、急に明日から学校にハイ元通りに毎日行ってきまーす!と復学をすることができるだろうか。

大抵は、そんな事が容易にできない状況になってしまっているのだ。
授業も、クラスも、部活も、外はどうなっているのか。
不安だ。
そうした状況を一つ一つ明らかにするのは腰が重い。面倒くさい。
それに内側からの働きかけはどうしても甘えが生じてしまう。内部というのはここでは家族の助言や自分の意思であり、それらでは到底無理な話なのである。
そうした内部の働きかけで通う事が幸いできるのであれば、メンタルフレンドが介入する必要は最早無いだろう。


この一連の再登校に向けたプロセスにおいて、メンタルフレンドがすべき事はどういうことなのか?
私はあなたのメンタルフレンドです。学校行こうよ!再登校を目指しましょう!と述べることはしない。
出来ることとしては、基本的に下記の事を求めていると伝えられた。

不登校の学生さんの所に訪問し、その学生さんの友達のような、話し相手、遊び相手でいること。
最初から悩みを話したりといったことはなくとも、もしそのような話になったら特に励ましたり、慰めたり、説教などする必要も特にない。話を聞いて、受け止められるのならそれでOK。

そうした活動内容を聞いた私は、いつも通り友達と話す感覚でいいんだ。いや‥ほんとかい!というのが率直な感想であった。

自身がメンタルフレンドになってみようと思った契機や理由はいくつかある。
世間的にも卒業間近の暇な文系大学生の時間が誰かの何か役に立つ事ができて、そしてアルバイトとしてお給料を貰うことになっている。(森さんの機関の場合バイト代を保護者から貰う形であった。)
そして何よりも、年の離れた友達ができるなんて楽しみだな〜!ということ。
自分の友達には皆ハッピーでいてほしいから、その新しい友達にも少しでも私がいる事で楽しくいてくれたらいいな!はっは!
という楽観的な思いがあったからである。
少なくとも、学校に通わないなんて変だ!とか、通うべきだ!という義務感を持ち、取り組んだわけではない。個人的にはその辺りは人によると今も思っている。

その上で、これは専門の機関に頼みお金を出す程に保護者の方はその子の状況が変わってほしいと願っていること。
最も、この瞬間は10代である彼らの人生を左右する大事な時間であろうと。
そうした事を踏まえながら、あくまで対等に友達として、大切な友達の悩みに寄り添う気持ちでメンタルフレンドとして臨むことにした。

結果、その子の復学が叶ったのは勿論である。
そんな中で実のところ同時に自身がその子の存在に救われた面もあった。というのも当時はなにかとメソメソと恋愛の悩みを抱えていたお年頃であった。(今思うとクソほどしょうもないよ!)
何だか恥ずかしくて、その子にそんな話をすることはなかったのだが。
私にとってもずっと大切な存在だから、活動を一区切り終えて数年経っても、たま〜に、その子に今でも会う。一度の復学後、再度不登校となることもなく受験に励み中学を卒業した。
それに彼女ももう成人だから、不登校の心配はもうない。今は年の離れた、友達だ。


話が逸れたが、事務局長森さんとの話し合いを経てメンタルフレンドの活動をすることがきまり、いよいよ不登校である彼女の家に向かう日取りが決まった。


つづく。

(今度は早めにその2を更新する予定)

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