小学生で芸能界デビューした話
小学2年生、その日私は母とショッピングモールに買い物に来ていた。
母と2人で歩いていた時、いきなり
「少しいいですか?」
と後ろから若い女の声で話しかけられ振り返った私達を見たその女性はにこりと笑って
「私、こういうものですが芸能に興味はありませんか?」
と名刺を差し出してきた。
これが、私の10年以上に及ぶ芸能活動の幕開けだった。
……と、何やら大げさに書いてみたは良いもののなんのことはない。
10年といっても、なんの活動もしていない期間も長すぎるし、そもそも私は無名だ。
私の認知度などというものはゼロに等しい。
だからこれはタイトルから期待されるような華々しい物語ではない。
芸能界のすみっこ。
ただそこで頑張ってきた私の話。
1.芸能生活の幕開け
私が芸能界に入ったきっかけは何やらきどった(笑)冒頭の文章のとおり、芸能事務所からのスカウトです。
実を言うと芸能事務所からのスカウトはこの時が初めてでは無かったのですが、この時スカウトしてきた事務所が有名な芸能事務所だった(具体的な事務所名は伏せさせていただきます)ため母は興味を持ち、父と相談の上で
「人見知りを克服させるためにも1度面接だけ受けにいってみても良いんじゃ無い?」
という意見になったようでした。
その後私は面接やカメラテストを経て、合格。事務所への所属が正式に決定しました。
その頃の私はまだ小学2年生。
両親からは最終的に自分で決めて欲しいと言われましたが、
テレビに出れる可能性があるなら楽しそうかも。とか両親はどちらかというと賛成っぽいな。
とかなんかふわっとした理由で入る事を決めたのを覚えています笑
でも子役なんて基本そんなものでしょう。
子役のほとんどは芸能事務所の所属に関して親の意向が強いはずです。
親の意向で子供に芸能活動をさせる事の是非について、私がどのように考えているのかはまた他であらためて投稿するかもしれません。
2.人見知りの荒療治の始まり
ついに芸能事務所への所属が決まった私は、それからすぐに映画やドラマ、広告など様々なオーディションを受け始めました。
オーディションでは、机の前に並んで座っている制作関係者達の前で自己紹介をしたり質問に答えたり、全くやった事もない演技をしたり…
人見知りであった私にはどれもハードルの高すぎる事の数々でしたが、それでも何とか必死に努力しました。
けれど、オーディションが入ったという連絡は子供の私にとって毎回恐怖となっていきました
それは人見知りで緊張するから。
といった理由ではありませんでした。
オーディションの後には時々マネージャーからの電話が母にくるのです。
この電話はオーディションをしたスタッフたちに私の様子がどうだったかを聞いた上でダメ出しをするものでした。
母はマネージャーの電話がかかってきた後私の事を激しく叱るようになっていきました。
あの時の激しい怒鳴り声は今でも覚えています。
その頃の私はオーディションが終わってから1週間ほどはいつ電話がくるのかと常にビクビクしていました。
また、この頃はオーディションの頻度が1番高かった時期でもあるのでほぼ毎日極度の緊張状態にあったと言ってもいいでしょう。
ただ怒られる位で大げさだと思うでしょうか。
でも子供の頃の私は、怒られたり一定以上に緊張した際には貧血をおこして倒れるような事もあるような子でした。
今でも覚えているのは、学校から帰って家のインターホンを押す時の恐怖です。
もしその日電話がかかってきた後ならば、母のインターホンでの声の調子で分かるようになっていたから。いつもインターホンを押す時は全力でその声に集中していたのを思い出します。
事務所に入ってから2、3年ほどはこのような状況が続いていました。
3.人見知りを克服?
私は2、3年ほどもかかってようやく子役という役割に馴染んでいきました。
その頃にはあまり母から怒られる事も無くなっていたと記憶しています。
怒られなくなっていったとはいっても、結局私自身の内気な性格は変わる事がありませんでした。しかしこの性格のままであれば芸能事務所で上手くやっていくことなど到底できません。
だから、私はその問題を無理やり解決する術を身につけていきました。
表現をするのが難しいのですが、それは私の外側に違う私を一枚つくる、という技術です。
仮面、というよりは繭?のような感覚かもしれません。
これに関しては意図してそうなったわけではなく自然に形作られていった、と言った方が正しいでしょう。
言い忘れていましたが、私には本名と別に芸名があります。ここでは芸名は宇佐美、本名はうさぎ、とさせていただきます。笑
私は私の外側に、宇佐美という人間をつくりました。周りからみればいわゆる子役らしい笑みを浮かべた礼儀正しい優等生、そんな印象でしょうか。
私は大人と接する時には必ず宇佐美として対応しました。芸能の仕事やオーディションで接する相手は主に大人だったため、大人という存在に対してはほぼ脊髄反射でそのような対応をするようになったのです。
周りの同年代の子供からみれば異様だったかもしれません。
普段は無表情である事が多くとても社交的とは言えない私が大人達と喋る時のみ終始笑顔で、小学校低学年にしてしっかりとした敬語で大人達と喋る様子は。
私は小学校においてこういう部分でも周囲から徐々に反感をかっていく事になります。
4.おわりに
内容がいまいちまとめきれなくてまた思ったよりかなり長くなってしまいました。
まだまだプロローグというか、仕事の話もしてないのに…
久しぶりにちゃんとした文章を書いているのでもう少し慣れるのに時間がかかりそうです。
無名とはいえ芸能界で過ごしてきた年数が長すぎるため、書くことの多い芸能活動の話はシリーズのような感じで少しずつ書いていくことにしようと思います。
最も仕事をしていたのは小学生から中学生にかけてで、そこの部分の話がかなり長くなると思われます。
小学校で私の学年が学級崩壊していた話は別で書こうかな…
最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。