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10月27日 鴻池ジャズ後記

今日は師匠が司会を務められる鴻池ジャズに帯同させていただいたのだった。
昨日のカクカタルで僕も司会をしていて、不足があったのでそれを勉強させていただく気持ちが強かった。

楽器の出し入れや、時間が早くなったりずれこんだりして、ちょっとした間ができそうになるのをきっちりと埋めたてていくことが大事。
講談師なのだからの武器を使うんだ、という心得を見ることができた。
次司会を仰せつかる機会があれば臆せず飛びこんで行こう。
玉山は臆するところがある。臆せず飛び込むだけでは成功しないかもしれないけれど、臆して飛び込まなけれなば絶対に成功はしないのだ。多分。変な間が空いてしまう。変な間が生まれる前におっとり刀でも駆けつけなければならない。

今日は朝の10時から夕方17時まで様々なジャズのバンドが出演をして演奏を披露している。

ものすごい演奏をされるジャズの方が居て好きになった。
無茶苦茶かっこよかった。
僕にもかっこいいな、と思う心が残っていてよかった。あのカッコよさは皆に通じるカッコよさだと思う。ということは僕の「カッコいい」に関する感性はまだ少しはある、ということで。と、ということは僕もカッコいい感じのことができるかもしれないという希望もまだあるということで。
ちょっとカッコよさへの希求が生まれた。まだやっぱり恥ずかしいけど。

終わった後、師匠が外国人のシンガーの方と英語でおしゃべりをされていて大迫力だった。
でも漏れ聞こえてくる英語で師匠が自分の事を「ジャパニーズトラディショナルストーリーテラー」でジャズとコラボレーションをしている、と言った時のそのシンガーの反応がものすごく良かった。
そういう人がそういうことをする、というのは「講談」とか「講談師」とかそういうことを知らない外国の方にも面白いことなんだ。と思った。
英語にすることによって「講談」や「講談師」という言葉や概念が無い世界の言葉を自分の中で再翻訳することによって、講談はどんなお話をどんなスタイルで語っても「日本の伝統話芸」なのだから、講談内部での立ち位置とかは全く気にせずにやっていこうよな。と思う
できること、とか、やりたいこと、とかに終始してやっていこうと思います。

日本にしかない言葉を、外国の方に伝える時にどういう英語を使って、それを日本語に再翻訳したときに見えてくるのは結構シンプルにその言葉が一体どういう意味だったか現している気がする。


関係ないですが、村上春樹さんはあの独特な文体を作る為に「小説を書く」→「英訳をする」→「英訳した自分の小説を再度日本語訳する」という作業を経たそうです。豆知識です。

明日はビッグイシュー講談会だ。
自宅に還ったらビッグイシュー講談部の皆さまにプレゼントする張り扇を作らなければ。
あと一本作る。

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