玉田玉山
武蔵新城での暮らしについて書き綴ります。毎月15日頃に更新予定です。
玉田玉山が講談について考えたあれこれを月に一回書き綴ります。 毎月5日に更新です。
一週間日記を集積します
その月頭に判明している出演公演、配信を列挙します。 余りに何もない場合はなぜそんなことになってしまったのか、反省を綴ります。 毎月頭更新です。
この月に観た映画、ライブ、読んだ本などを列挙してそれぞれにコメントを書き記します。 毎月末更新です。
日記を書けていなかった。悔しい。 書くぞ。二週間分一気に、だ。 ●11月1日 睡眠クリニック 睡眠時無呼吸症候群の検査結果が出る。1時間に60回の無呼吸状態。単純に1分に1回呼吸が止まっているのだとのこと。あなたが夜しているそれ、は睡眠ではなくどちらかと言うと気絶、と言われて驚く。シーパップ治療器具を使うことになる。 ●11月2日 東京国際映画祭で『くまをまつ』を観る 友人、初めて友人として記すな。東京で玉木青の紹介によって知り合った平野鈴という俳優の友人が主演してい
●10月25日 船場トンデモ人物伝 朝にビッグイシュー講談部の稽古を行う。台本を書いてきてもらい、やってもらってブラッシュアップしたり、講談の技術をお伝えしたり。関東に拠点を移してから様々な時間がとれなくなってきているが、これだけは続けている。続けていきたいので、とにかく月に1回のペースで無理が出ないように、ということだけは重視している。 終わってから少しだけ妻宅でゆっくりしてから出かける。船場トンデモ人物伝。僕は5分の講談をすることになっている。頭に疼痛。台本を考えられ
●10月18日 選挙漫遊、会食 朝、横浜駅でれいわ新選組の選挙演説を聴き、そのあと、都内に戻る。都内で維新小野たいすけの演説を聴く予定だったが、予定時刻に予定場所に現れず、断念。飲み会へ移動する。空手へのいざないがある。空手には強い魅力を感じた。まったくできないことを虚心坦懐やってみる、ということは精神衛生上良いのかもしれない。 飲み会を終え、完全にもう一軒行きたい気持であったが、どうにも体調が良いのか悪いのか。大事をとってそのまま帰宅となる。 ●10月19日 選挙漫遊
はじめに 第50回衆議院議員選挙、所謂総選挙の投開票日が近づいている。 武蔵新城に引っ越してきて初めての選挙。住民票もしっかりと移しているので、この武蔵新城の地で投票をすることになる。 僕は大変に選挙が好きである。積極的に好き、ガンガン好きである。こんなことを書くと引かれるかもしれないが、通りがかりに演説をやっていたら聴く、というような好きさ加減ではないのだ。どこで演説をやっているか調べて、その現場に行くのである。 さらに今回の選挙で言えば武蔵新城のある神奈川18区
●10月11日 体調不良 どうにも体調が優れぬ日々である。季節の変わり目と二日酔いによって体がぼろぼろになってしまった。とにかくショウガやら玉ねぎやらにんじんやら、体によさそうなものを煮崩して食べるなどをする。 ●10月12日 体調不良は続く どうにもならない。映画を観たいし、選挙に向けて動き出している政治家も観に行きたいのだがいかんせん体調が悪いし、どうでしょう講談会は目の前に迫っている。崩すことはできない。家で息をひそめて過ごす。息をひそめながらも小声で稽古などを行
●10月4日 『とむらい師たち』 神田神保町で映画を観る。前からみたかった映画であった。確か伊藤雄之助の出演作を探っていた時期があって、その時に目をつけていた映画である。 勝新太郎主演の葬式屋の映画。野坂昭如原作。藤本義一脚本。大阪で死人の家に行ってデスマスクを作る職人が主人公。この主人公が現代の葬式は死者への敬いがあまりにない、と怒り「俺が最高の葬式を演出する」と葬儀演出家を名乗り、仲間を集めて葬儀社を組織。最初はそのサクセスストーリーがナンセンスに展開し、そののち仲間
僕は新作講談でやっていこう、と思っている講談師である。 ヘッダーも新作講談をやっているときの写真だ。 入門したときは「古典6割・新作4割くらいで」なんて考えてはいた。 が、とにかく年季修行中に新作講談を作り続ける修業になり、結句新作講談の創出に特異性のある講談師として年季明けをした。 あんまりやってきていない古典で勝負するよりも、ほかの講談師よりも沢山作って沢山語ってきた新作で勝負をかけるのがよかろう。と思った。 ハイペースで講談を作ってはすべてを師匠とお客様に聴いていただく
●9月27日 猫の病院 朝から猫の病院へ行く。松坂桃李似の獣医の医院であるが、大変に繁盛している。開院時間に訪れたものの、6組待ちであったか。多種多様な犬猫が待合室に居る。我が家の猫・ラルゴは病院が好みではないので、憮然とした雰囲気でキャリーケースの中に納まっている。時々「ふうッン」と腹立ちまぎれのため息のようなものがキャリーから聞こえてくる。 採決をしてもらい、数値を観ると現状は維持できているようである。免疫介在性溶結性貧血なる難病を持つ我が愛猫。なんとかそれでも薬を飲
観た映画 ●『止められるか、俺たちを』 配信で。白石和彌監督。若松孝二という映画監督の周りにいた人々の物語。業界青春映画。昭和のコンプライアンスの無さ、を魅力的に描くような風合いの映画だった。井浦新がコントみたいな演技をしているんだけれど、妙にいとおしい。 ただ、カメオ出演が多すぎる。カメオ出演も、おそらく若松監督の関係者なんだろう、という人が出てきていて、いまいち誰が誰がかわからない。でもカメオ出演ってことだけはわかる、みたいな雑味になってしまっていた気がする。 登場人
※9月12日~15日・21日~24日 どうでしょうキャラバンのことは別記事に詳しく記しました故、下記をを参照されたし https://note.com/tamada_gyokuzan/n/n88e910c97193?sub_rt=share_sb ●9月16日 映画『掟』を観る 石丸伸二をテーマに取った映画がある、というので観に行く。大変不思議な映画。石丸氏をほめたいのかけなしたいのかわからない。ヒットしていない理由がわかる、という感じ。釈然としないのだ。 深み、とかじ
2024年の水曜どうでしょうキャラバンに参戦してきた。僕は秋田・山形・福島・茨城・岐阜・兵庫の6会場で「水曜どうでしょう講談」を弁じた。 それ以外にも各会場でその日のキャラバンの総括講談、黒色すみれさんとのコラボ歴史講談、果てはモルック講談まで、いろんな講談をしたのだった。各会場で愉快なキャラバン隊、熱い藩士たち、手練れのアーティスト陣、大好きな番組を作ったディレクター二人、に囲まれながら過ごすハッピーでナウな日々だった。ホットでクールな日々だった。 そんな日々の記録をま
34歳講談師。僕が暮らしていく為に必要な施設というものを考えてみよう。 まずは自宅。そこに帰ることができればひとまず眠れるネグラ。これがある場所が暮らしをする場所。ということになる。ネグラが無ければ話は始まらない。 このネグラを中心としてどのような施設があればよいか。 まずは電源とWi-Fiのある喫茶。これは仕事場である。 僕は新作講談を書くことが多い。また文章もよく書く。告知活動も行わねばならない。 しかしネグラはネグラであって、仕事場ではなく、行動が場所を規定するタイ
あまりに多忙。まったく日記を書けなかったのだった。 記録だけでも残しておく。 ●9月5日 立川・古典の会 もう何も覚えていない。遥か遠い昔のことのように思える。確か僕はこの日『大塩の謎解き』という講談をやった気がする。玉田玉山物語は何をやったっけ。あ、そうだ、フレンチを食べに行った話だ。ワインをボトルで頼むことになっておびえる。という話。 師匠への古典のリクエストは『五貫裁き』をお願いさせていただいた。 ●9月6日 船場トンデモ人物伝 この日は合間の5分間の即興講談。
学生時代、特に中学校時代などはクラスってのが宇宙のすべてだった。 ぼくが居たのは何となくクラスでのプレゼンスが低い連中が集まっている集団。 真面目、勉強ができるやつもいるけれど、真面目なくせに勉強ができないやつも結構いる。兎角何事にも活躍ができず、総じて陰気な印象。 ぼくたちにはいつも不本意ながら『隠キャ』という称号が与えられ、基本的に「まともにとりあってもらえない」という連中だった。 対して『陽キャ』というやつらの軍団がいて、顔が良くて感じがよいやつ、バカだけど明るい
水曜どうでしょう講談をこの1年ほどか、やり続けている。毎月1~2本新作を作っては初演。いい演目ができてきているように思う。 今までに何本作ったのだろうか。 ちょっと思いつくままに挙げてみる。 『ガラガラ』『ヨーロッパ2夜~3夜』『だるま屋ウィリー事件』 『なんなんやこの料理番組』『サイコロ1』 『西表第四夜~俺はロビンソンや~』『サイコロ3』 『ずんだ』『鈴木宗男の旅番組』『受験生のためのどうでしょう@滋賀』 『どうでしょうと鬱』『東京ウォーカー』『軍団、四国の呪いを受
●8月29日 立川文庫×古典講談会 この日からしっかりと一日のスケジュールを管理し始める。管理するほうが不快感が少ないことに驚く。管理しなかった今まではとにかく「こんなことをしていてはいけない」と思いながら限界までダラダラしていたのだが、管理をすると僕は存外自立心の無い男で、管理をしているにも関わらずダラダラする、ということができないのであった。作業の時間は作業をし、稽古の時間は稽古をする。もちろん体力のある男ではないゆえにダラダラの時間、というのも設けているのだが、そのダ