私講談『玉田玉山物語』の話
玉田玉山物語の新作を書きたい、と思ってパソコンに向かったが気が付いたらnoteの記事を書いている。せっかくだから玉田玉山物語について書いていこうと思う。
これは師匠の発案で始まった一連の新作講談だ。確か2回目の高座だったか「今から玉山の人生を語ってきてくれ」と師匠に言われて数秒後に台本もなく語り始めたのがこの玉田玉山物語である。
その名の通り玉田玉山の物語を語る。玉田玉山というのは何を隠そうこの世に多分一人であるから、その玉山がどういう人生を歩んできたか。幼少期、少年期、青年期、中年の域に達しつつある現在の様々なエピソード。あるいはもっとさかのぼって父母の話をすることもある。ともかく玉田玉山という人物が出てくる話を、一時期は毎週毎週作っては口演しており、今てもとに130本くらいある。まあ、もう、どうしようもない出来のものも結構あるのだけれど、気に入っている作もいくつもある。
・モスバーガーでアイスコーヒーLサイズを頼んだら思ったよりも大きいやつが出てくる話
・住民票を取らなければいけないのに、住民票の所在地がわからなくて困る話
・小学生の時、夏休み明けにクラスに好きな女の子に会ったらうっすらひげが生えていて驚いた話
・20代前半の時、好きな女の子の家に友達が泊まり、自分は泊まれないことになり「何もしないでくれ」と土下座をしたけれど、後からその友達に、あの夜何かした話、を聞かされた話
・小学生の時、どぶに頭から突っ込んだ話
・部屋に油をこぼして大変なことになった話
・妻が頼んだ北京ダックが思ったよりも高かった話
・電車で隣に座った人が臭かった話
…他にもいくつもある気がするが、まあそういう話を講談にしている。
講談と言うのは、英雄豪傑秀才賢帝などのお話を、大げさに、かっこよく、しびれる感じで語る芸能だ。そういうことをするための技術が蓄積されている。
そして玉田玉山物語では、そういう技術を流用して、上記のようなはっきり言って取るに足らない、どうしようもない話をする。
すると、そこに寒暖差が生まれて笑いが起こったりするのである。元来そういうことは嫌いではないから僕も気分が良い。笑ってもらえて嬉しい。どんどん作る。どんどん語る、で130作作ったのだった。
他の講談師が一生懸命古典講談の練習をして歴史と向き合っているいるときに、僕は自分の思い出や生活と向き合い思いをはせていたのである。
これが今後の講談師人生にどういう影響を与えるかはわからない。決定的に古典講談のできない、どうしようもない講談師人生になるのか、それとも講談界の異端児としてのしていけるのか、まあ、正統派になるってことは絶対にないとは思うが。
ともかく、僕は僕の作った僕の物語を異常な量抱えて、講談師人生を走り出すことになったのだ。各種局面で武器として使っていきたいものである。さて、新作をどうするか。当然「新作が書けない玉田玉山」の物語も2回くらい使っているので、もう使えない。いよいよどうするのか。見ものである。見とる場合やない、書け書け。