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自分責めからの脱却

先日から思い込みについていくつか記事を書いているが、本日は思い癖について。

わたしは、昔から自分を責めるクセがあった。

正確には、「わたしは自分を責めるクセを持っていることにある時気づいた」だ。よくよく自分を観察しはじめるまで、まったく気づいていなかった。

私は今50代だが自分が自分を責め過ぎていると気づいたのは40歳になってからだった。例えば仕事で失敗したとき。あ~やってしまった!どうして気づかなかったんだろう? ちょっと考えたらわかったことなのに、なんて視野が狭いんだろう?とか。。。ぐるぐる考える。そして結構引きずるタイプだった。
でも、その事が自分を責めすぎているという認識は無かった。だって、反省して、改善するのは当たり前。それって向上心じゃないの?って思っていたから。

もちろん、反省も必要。ただ程度の問題だということ。
じゃあ自分を責めすぎているということはどういうことなのか?

例えば、仕事に関する同じ失敗を同僚がしたとしても、わたしは同じように友達を批判するだろうか?しつこくダメ出しするだろうか?と想像してみる。1mmのミスも許すことが出来ないだろうか?そんなことはきっと無いはず。たまには失敗もするよね~って言いながら、フォロー出来ることがあればするだろう。それが仲良くなる切っ掛けにさえなるかもしれない。そんな風に、客観的に見ればたいした失敗ではないはずなのだ。なのに、自分の失敗はとことん責める。

そして、何よりもまずいことは、自分が自分を責めすぎているということに自分でまったく気づいていないと言うことである。

さらにこうやって自分を責めるのは何故なのか、深堀りしていくと、「ちゃんと出来なくちゃ」「役に立たなくちゃわたしは価値が無い」と思っていることに気づく。そもそも、「ちゃんとしなくちゃ!」が強くないひとは、失敗なんて一瞬で忘れてる。
本当は、優秀なビジネスマンでもダメダメ人間でも、人としての価値は何も変わらないのに。役立ってこそなんぼ!と思い込んでいるから、そうでない自分を責めるのだ。

改善点を確認することは大事だが、十分しまった!って思ってるひと(自分)に向って、過剰なダメだしは修復に向かうエネルギーを奪うことになる。

では、このクセに気づいた後のわたしは、同様の失敗をしてしまった時、その後の行動はどのように意識したかというと。

まず、トラブル発生。やっちまった~!っていう出来事が起こる。
元々持っているクセはなかなか抜けないので、出来事が起こった一瞬後には反射的にいつもの反応が出る。自分責めに走ろうと感情が湧き出す。でも、そこで踏ん張る。ちょっと待てよと。
内面観察が進んでくるとここで踏ん張れる。だって自分の感情に気づいてるから。

では、その自動的に出る反射のような感情をどうするか。
まず、うゎ~って思うことも感じる。そして辛いよねって自分に寄り添う。辛さを認める。

ここで、速攻で挽回の為の行動に出るよりも、一拍だけ落ち着いて、まずは波立ってる内面を見つめて感情浄化してから動く。
「ちゃんとしなくちゃ!」が強いので、失敗すると速攻で挽回したくてしたくて仕方ない衝動に駆られる。
これは、事態を良くしようというよりも、下がったわたしの価値を少しでも早く上げてわたしが安心したいから。
でも、そんな焦燥感に駆られて動くとあまり上手くいかない。一拍でもいいから、息をついて自分を落ち着かせてクリアーにしてから動くほうが上手くことが運ぶ場合が多い。

繰り返しになるが、出来事が起こった時の、自分の反応は無意識的な反応なので、しょうがない。これは一旦ネガティブに振れても気にしない。けど、気づいては感情をみつめて癒しながら責めないを選ぶことを繰り返していけば、ゆっくりと変わってくる。

さらに、落ち着いたあと、この出来事が起こったことに何か意味があるのだろうか?最近わたしが見落としてるなにかがあるだろうか?など違う視点での考察もする。

これは、わたしの場合の自分責めのクセについてだが、みんな各々自分独特のクセがあると思う。

その場合でも気づくことさえ出来たら、自分で舵取りすることが出来るようになる。わたしも少しずつ少しずつ変わってきた。
同じようなことを感じてる人がいたら、少しでも参考になればと思い書いてみました。


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