わたしを知ること~(4)他人軸から自分軸へ
自分の内面への探求がはじまったわたしだが、それには大きな2本柱が必要だということを学んだ。それは、右脳的で感覚的、エネルギー的なものの浄化。もうひとつが左脳的アプローチ。自己分析により言語化すること。自分で納得、理解していく方法。この両方が必要である。
とはいえ、わたしはスピリチュアルな世界や考え方は好きでも、エネルギーがわかる人ではないし、自己の掘り下げも自分ひとりでだと、初めて乗る自転車の練習のように、あっちへふらふら、こっちへふらふら、あ~右に曲がって止まれない~などということもたくさんあった。
それを、カウンセラーさんに方向を戻してもらいながら、ゆっくり進んでいった。
順番は、痛くてひりひりしている感情をまず浄化して落ち着いた状態で、どうしてわたしは、ここに引っかかってひりひりしていたのか、何故そこが引っかかりどころだと思っているのか、引っかかりを突き破ったらわたしはどう感じるんだろう?などと考えていく。
ここで自分の思い込みを解除していくのだが、やはりそれまで自分がこれが普通、これが正しいと思っていたことを、もし仮にそれが反対だったとしたら?と考えてみるのは自分の中で違和感がとても出る。でも、そこを試しに一度考えてみることが、世界を拡大してゆく道になるのだ。
人の顔色を見ること
この当時のわたしの気づきがひとつある。
わたしは誰かと話しているとき、話す内容への集中半分、相手の反応に気を取られること半分の状態でひととコミュニケーションをとっていることが多いと気づいた。それで、話がまとまらず上司の逆鱗に触れることがあった。
それは対上司、Aさんの場合、素早い反応、正確な答えを要求されるから委縮もあり、余計にそうなっていた。
もちろん、コミュニケーションにおいて常にそんな緊張をしているわけではない。リラックスした関係の相手の場合は話に集中しているが、そうじゃなく気を使っているひとには、相手の反応に意識がかなり持っていかれてる自分に気づいた。こんなじゃ確かに物事の説明をするにしても上手くいかないよなと思った。
それは、わたしが相手に対しても、大きくは社会に対しても、これであってる?これで間違ってないかな?という、人の価値観に合わせなきゃという思いが無意識に働いていたせいだと思う。それは、その方がわたしが安全だと思っていたから。今、思うと、そっちの方が絶対不安定だと思うのに、その頃は気づかなかった。今は、そんなことはかなり減ったが(たまに今も出る)圧迫感のある相手には、自分が感じた自分の感覚をそのまま信じて発言するということが出来ないでいた。
常に自分の感情を観察すること
こういったことは、気づいたことが大チャンスで、気づいたら、それ以降は当然自分でも意識することになる。日常的に、苦手な人と話していて、相手の反応にばかり意識が行ってるな、わたし。と気づく。そうすると、話に集中すること!と自らを立て直せるようになってくる。これは、失敗もある。相手の反応に気を持っていかれたままま、自分に意識を戻せなかったこともある。けど、数回気づきながら、自分にもどす!自分に集中!自分が言いたい話に集中!の回数を重ねると、随分と変わることが出来た。実践して体感して腑に落とすことが大事だと感じた。
もうひとつ大事なこととして、そもそもが、何故自分のこういったクセに気づいたかというと、それは自分の感情をよく見ようとしていたから。常に自分が今どう思ってるの?って観察していたから気づけたことである。それがなければ、そもそも、こんなチャレンジもない。チャレンジと書いたが、書きながらもこんな個人的に些細なことは、読んで下さってる方からすれば、「は?」なことだと思う。けど、自分の中では大きなことだったのだ。
そして、自分だけがわかる、自分だけの些細な変化をいちいち出来た!って自分で喜んであげることも大事だし、その喜びをカウンセラーさんが共に喜んで下さったことも、とても励みになった。
何より自分の感情をここまで、必死に観察しようと思ったのは、セッションからセッションまでの数週間の期間の出来事を投稿する掲示板へのネタ探しの部分もあったので、やはり誰かに見てもらうという圧をかけるのは有効だったと思う。スポーツジムのパーソナルトレーナーのような存在だ。
このような形で、少しずつわたしの考え方が変化し、感情の変化があり、それに伴い少し変わったわたしとして、物事に当たってみること、苦手な上司に対すること、今までは引いていたことを、もう一歩踏み込んでみる勇気。言葉を添えてみること、違う形でアクションしてみること。など少しずつ変わっていった。
そしていま現在は、その恐れていた上司、Aさんに、言いたいことを言っている。一体何が怖かったのかわからない(笑)
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