君の顔では泣けない
誰かと自分が入れかわったら?
こんなことを一度は考えたことはないだろうか?
自分なら…どう生きるか…。
さて、どうしましょう?
考察すると、止まらない。
他人か身内かによってもその対応は変わるし…
だいだいの入れ替わりは逆の性別の方にもなりがちなので、そのあたりの込み入ったリアルなことも考えて置かなければいけない。
備えあれば憂いなし!
他人と体が入れ替わったらどうすべきかマニュアルなるものをネット記事で見つけたので読んでみた。
突然異性と入れ替わったときのために…“入れ替わり”対策マニュアル | オモコロブロス! (omocoro.jp)
ちなみにこのマニュアルによると入れ替わりが起こる相手はまったくの無関係の相手ではないことが多い。(らしい)
逆に運命の相手や使命を果たす相手だったりもする。(らしい)
君の名はあたりがそれに該当すると思われる。
また男女で入れ替わりの場合約98%が恋愛関係に発展することもわかっている(らしい)
また入れ替わった相手の体は、今は自分の体でもあっても本来は相手の体であるので配慮した生活が好ましい(らしい)
また入れ替わりが実際に起こりやすい人の傾向として、なんの変哲もない人生を送っている人に起こる(らしい)
入れ替わった状況と同じことを試すと戻る(らしい)
ありがちなのが階段とか一緒に転がりおちるあれのことだろうと察しがつく。
んなわけないだろうと思いながらもすごい文字数を最後まで目でおっかけてしまったのはここだけの話。
まるでいつか自分の身に入れ替わりが起こるかのごとく。備えちゃってる自分がいる。
男女が入れわかる話は、ありがちな題材。むしろ一番使い古されてきたSF。
幾度となく、ドラマ、漫画、映画にもなってきた。
この本も高校生の同級生の男女が入れ変わりが書かれている。
※以下、ネタバレあり
それぞれの人生の表面を生きながらも、もう一人のかつての自分だっと存在
と正対する。
そしてずっと入れ替わりが解かれるまでお互いの人生を担ぐ。
本当の自分に戻るまでそうして関わって、寄り添って、知恵を絞って生きて行く。
…のかと思いきやそうではない。
今までと全然違うのは、彼らは入れ変わったまま子どもから大人になっていく。
彼らはほんとの自分に戻ることより、今自分があてがわれた方を自分として生きていく道を歩くのだ。
これはすごい決断だ。戻るを前提で生きる時間にあまり生産性を感じないのは確か。
戻るまでのいわば消化試合のような気もする。自分を生ききるだけにフォーカスした場合、その選択に潔さを感じる。
(わたしは絶対、戻ることに執着していまうだろうな…)
その描写が今までのありがちな入れ替わりとは一風変わっていて面白かった。そして、とてつもなく切なかった。
彼らの生きる世界は想像すると孤独の2文字が1番に浮かぶ。
1番近しいはずの家族、兄弟、親友、恋人にも本当の自分を明かせない…。
ちなみにマニュアルの統計によると約98%が恋愛に発展するというのに2人は2%の方に属することになるから余計に。
本当の自分のことをもう1人の自分以外知り得ない世界。
究極の孤独ってそういうことなんじゃないのかと思った。
孤独の中で生きる2人。
時を経て、彼らの孤独の先にあったものはなんだったのか。(気になるかたは是非読んでみて~)
この本は実は1年前に読んだもの。
なぜ今またそれを思い出したのか?
それは、あぁ君〜の顔では泣けない思うことがあったのだ。
最近自分の根本的な性格は0歳~6歳ぐらいの、もの心がつくぐらいにまでに培われてものによってだいたいが決まるというのをとある本で読んだ。
うん。知ってる。
取り立てて目新しい情報でもないし、心理学なんかの本にもよく書かれている。
でしょうーねと自己の感覚でもわかる。
でももう少し自分の性格の好きなところも、なんでこうなんだ…(どちらかと言えばこちら)と嘆きたくなる部分のルーツを少しほってみたくなった。
それで、6歳の自分に会ってみたいな~と思った。
主人からも常々、性格の損を諭されている。
そんなことは自分が一番知ってる。わかってる。
だけどできない。殻に閉じこもる自分がいる。よく言えば人に依存しない。悪くいえば懐かない。本当の自分をさらすのがいつだって少し怖い。
6歳のわたしに会えたなら、こころが解き放てるように
「ぎゅーーーーーーと抱きしめてあげたい」と主人は言う。
「きっと警戒して、全く笑顔を見せへんで」とわたしは言う。
「笑わない子やね~」小さいころよくそう言われたと母から聞かされてきた。
母にはいつも満面の笑みでニコニコしているんだけど…。
母は他人の言葉に少し傷ついていたらしい。
なので知らないおじさんがいきなり
ぎゅーーーなんてした日には…6歳のわたしは石になるだろう。
「いや…僕はぜったい、ちっちゃいわたし笑かせるで~」
どうやろね? 泣き出すんちゃう?とか言いながらちょっと嬉しかったりもした。
実際には6歳のわたしに会うなんて、それこそ入れ替わりが起こるぐらい無理な話。
だからせめてもの思いで、6歳のころの写真を実家から一枚貰ってきた。
笑わないわたしが満面の笑みを浮かべている写真。
きっとカメラを構えていたのは母にちがいない。
最近いろんなことが次々好転して、順調に人生が回り始めてきた。
数年前を思うとありえない日常に身を落ち着かせている。
それでも仕事で打ちのめされること、心が折れて起き上がる気力があるのか…?と考えてしまう朝もある。
そんなとき、6歳のわたしを見る。
この笑顔を曇らせたらあかん。
自然とそんな気持ちになって、あっという間に落ち込む気分が解消する。
どうせ今回もよくなるフラグ!序長!と気持ちが切り替わる。
だって、君の顔では泣けないでしょう?
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