見出し画像

人間か怪物か

感情が欠損しているのではないだろうか…。

そんな不安が時々おそってくる。

42年も自分をしていても、自分という人間が今だに解せない。
自分比でしか図ることしか出来ない自分。

嬉しかったら、笑う。
悲しかったら、泣く。
腹が立てば、怒る。

心を痛めてる人がいたら他人でもかなしい。どこか遠くの不幸でもそれなりにやっぱりかなしい。
笑ってる人をみたらほっとする。自分とは関係ない祝福も喜べる。
人間らしい心をもって感じてそれなりに生きてる自負はある。

問題はその程度なのだ。

私の中で溢れるこの思いがいわゆる人間に属する者の心の1/10にも満たないほどちっぽけだとしたら…??

万人が感じる100を知らずにして小さな喜怒哀楽の中で息をしているとしたら?

漠然とそこに不安を抱いている。

だから、今日読んだこの本にギクリとした。

“感情"がわからない少年・ユンジェ。
ばあちゃんは、僕を「かわいい怪物」と呼んだ――

「ばあちゃん、どうしてみんな僕のこと変だって言うの」
「人っていうのは、自分と違う人間が許せないもんなんだよ」
扁桃体(アーモンド)が人より小さく、怒りや恐怖を感じることができない十六歳の高校生、ユンジェ。
そんな彼は、十五歳の誕生日に、目の前で祖母と母が通り魔に襲われたときも、ただ無表情でその光景を見つめているだけだった。
母は、感情がわからない息子に「喜」「怒」「哀」「楽」「愛」「悪」「欲」を丸暗記させることで、なんとか“普通の子"に見えるようにと訓練してきた。
だが、母は事件によって植物状態になり、ユンジェはひとりぼっちになってしまう。
そんなとき現れたのが、もう一人の“怪物"、ゴニだった。
激しい感情を持つその少年との出会いは、ユンジェの人生を大きく変えていく――。
「わが子が期待とは全く違う姿に成長したとしても、変わることなく愛情を注げるか」
―― 出産時に芽生えた著者自身の問いをもとに誕生した、喪失と再生、そして成長の物語。

Amazon

自分が保有している愛に自信がない。
なのに存分に愛されたきた形跡がそこかしらにある。
だから、余計怖いのだ。
まるで一方通行にただ愛が自分を通過してしまっているようで…。

人間を人間にするのも、怪物にするのも愛だと思うようになった

作者あとがき

作者のあとがきに激しく動揺と共感。

昨日、11歳の誕生日をむかえた次女。
祝いながら私を通過した愛がどれだけ彼女の心を人間にできているのだろう。

自分の中の怪物の片鱗を嗅ぎつけながらも母になることを許された今世。

母にしてくれて喜びと母になった責任とを感じながら1人の人間を11年も育てるという偉業に携わっている。

その恐怖と愛しさを込めて11歳の次女の幸せを誰よりも願っている。ちっぽけな人間が今保有する最大の愛をもって。

おめでとう


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集