泣いている幼い私を抱きしめた-弥生美術館「いとしのレトロ玩具」
8月暑い最中、東京都文京区にある弥生美術館に行ってきた。
どうしても見たい展示品達があったから。
昭和、戦後から平成、令和にかけての懐かしい玩具たちに会いに行った。
おままごと用の玩具に胸がキュッとした。
親にねだっても買って貰えなかったからだ。
親から面倒くさそうな言い訳を並べられて私は期待しない子になっていった。
朝日玩具のママレンジ!
友達が持っていた。
欲しかったが親から却下されるのがわかっていて期待しなかった。
ママシリーズ、あの時代の女の子たちの心をくすぐった。
今ならジェンダーの問題で炎上しそうであるが。
これらの玩具を見て懐かしかった。
懐かしいのは事実。
でも同時にこれらで遊べなかった、触れなかった幼い私がちょこんと出てきてしまった。
触って友達と遊びたかったなあ。
可愛かったなあ。
欲しかったなあ。
私の幼い頃は私のように玩具を買って貰えなかった子が沢山居た。
私だけでは無い。
でも欲しかった。
友達と同等に遊びたかった。
誰が悪い訳じゃない。
でも、欲しかった。
特にリカちゃんが欲しかった。
リカちゃんの紛い物を買って貰ったけど悲しかった。
友達とリカちゃんと紛い物で遊んだけど、友達がリカちゃんの髪を切って親から怒られたのを聞いて羨ましかった。
幼くったって親の意向や事実は子は把握している。
でも、それって正しいことだろうか?
自分が結婚し、子が生まれた時、私も元夫も幼い頃理不尽に我慢してきたことは子に押し付けないと誓った。
私の中の幼い私が泣いている。
欲しかったね。
甘えたかったね。
遊びたかったね。
でもちょっとずつ遊ぼうか。
甘えようか。
体験はすべきではある。
けど、年齢に合わない我慢や苦労はすべきではないし、周りの大人も気をつけて欲しいな。
あの頃幼かった私の願いである。
幼い娘と一緒にリカちゃんで遊んで楽しかった私がいた。
楽しくて嬉しかった。
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