日常ブログ #16餡餅
唐突だが、皆さんはシャーピンというものをご存知だろうか。
餡に餅と書いて、シャーピン。
餃子の円盤バージョンというか、肉まんを押しつぶして焼いた形態というか、韓国料理のホットックのおかず版というか、
そんなアレである。
何を隠そう、私はそのシャーピンが大好物なのだ。
特に、お祭りで売られている屋台のシャーピンは格別である。
とはいえ、屋台のシャーピンだったら何だっていいわけじゃない。
私の中で不動の1位を誇る、特別なシャーピンが存在するのである。
それが、私の地元のお祭りのシャーピンである。
私の地元で夏の恒例行事として行われる七夕祭りは、
駅前から数百メートルにわたって伸びる商店街に沿っていくつもの屋台が立ち並び、
市内外から多くの人が訪れる街一番のビックイベントである。
生粋の地元民である私は、もちろん赤ん坊の頃から毎年欠かさずお祭りに参加した。
そのため、そのシャーピンとの出会いが正確にいつだったか、判然としない。それくらい長い付き合いなのだ。
最も人混みが大変なエリアをかき分けて進み、疲弊したところ、少し開けた交差点で立ち止まって人のまばらな場所まで移動し、縁石に腰掛け、休憩がてらシャーピンを買って家族みんなで分け合って食べる。
これが我が家のお祭りのルーティーンであった。
そのため、我が家の中ではお祭り=シャーピン、シャーピン=お祭りという共通認識がある。
お祭りが開催される=シャーピンが売られる、お祭りに行く=シャーピンを食べに行く、ということである。
どんなに長い行列ができていても、
テキ屋さんらしいちょっと塩対応な爪の長いヤンキー風のお姉さんが、ワンオペにも関わらずありえない早さでシャーピンを包んで焼いて渡してくれる。
お姉さんが綺麗な爪を油でギトギトにしても良いなら、私は一切構わない。
だって本当に美味しいから。
お姉さん、いつもありがとう。
思えば、いかにもテキ屋さんって感じの頭に白いタオル巻いたお兄さんが売ってた時もあったような気もする。
お兄さん、いつもありがとう。
そうやって、年が明ければ今年のシャーピンに想いを馳せ、春になればシャーピンとの再会を待ち望み、夏になったらシャーピンを思う存分食べ、秋になるとシャーピンを名残惜しむ。
私の四季はそのように回っていた。
この街にお祭りがある限り、シャーピンがある限り、ずっとずっとそんな日々が続くと思っていた。
中三までは。
高校に入学して、私は剣道部に入部した。
私の学校の剣道部は、毎年夏休みに学校で泊まりこみの合宿を行っていたのだが、それが決まって7月末の4日間だった。
7月末の4日間。
お祭りの期間ドンピシャである。
嫌がらせのように、毎年毎年、7月末の4日間。
ただでさえお祭りに行けない、いや、シャーピンを食べられないことが耐え難い苦痛であるのに、
高校も地元の学校で、如何せん駅からさほど離れていなかったため、稽古中お祭りの音がガッツリ聞こえてくるのである。
私は、あれ以上の生き地獄を知らない。
屈辱、怒り、虚しさ、悔しさ、ありとあらゆる感情が私の中に渦巻いた。
こっちが猛暑の中汗垂れ流して必死に稽古している時に、
ピーヒャラピーヒャラと楽しげな音楽が嫌でも耳に入ってくる。
羨ましい。羨ましすぎる。
私だってお祭り行きたいもん。
合宿なんかばっくれてお祭りに行きたかった。シャーピン食べたかった。
道場の端から端までダッシュで往復してるくらいなら、
このままダッシュで道場から脱走してその足でシャーピンの屋台まで走って行きたかった。
一番苦しかったのは午前練習と午後練習の合間の休憩中だった。
皆連日の1日練習と泊まり込みのストレスにやられて、
休憩中は部室にぶっ倒れて死んだように横になっているのだが、
その時聴こえてくるお祭りの音が、この世で最も悲しい音楽だったと、はっきり断言できる。
多分、本当に今から走って行って走って帰ってくれば、午後の稽古には間に合う距離と時間なのである。
しかし、疲労でまず起き上がることができない。
そして、外に出て走り出したりなんかしたら、間違いなく吐くだろう。
さらに、万が一行って食べて帰ってこれたとしても、冗談でも何でもなしに、午後の練習が始まったら確実に私はくたばるだろう。
そう考えながら、窓から部室に流れ込んでくる音楽に耳を傾けていると、涙が溢れそうだった。
私はこんなところで何をしているのだろう。
なぜシャーピンを食べていないんだろう。
なぜ汗まみれで横たわっているのだろう。
お祭りなのに。今日はお祭りの日でシャーピンが食べられる日で、誰も彼も楽しげに過ごしているのに、私はなぜこんなに暗い気持ちがしているんだろう。
シャーピンさえ食べることができれば。
私は、あの時ほど、自分が瞬間移動能力を持っていない事実を悔しく思ったことはない。
だが、苦しみもやがては終わる。
辛い運命に耐え、時が流れ、私は部活を引退した。
私の勝ちだ。これが希望を失わない者の勝利だ。
2年ぶりのシャーピンはさぞ美味かろう。
と、思っていたところ、ここで緊急事態宣言である。
コロナ禍は総体と共にシャーピンまで吹き飛ばして行った。
こんなことってあるか。なぜだ。
運命はどうしてこんなにも私の前に立ち塞がるのか。
どうしてこんなにも私とシャーピンを引き裂こうとするのか。
これが生の苦しみなのか。
現実は小説より奇なのか。
総体はいい、せめてお祭りだけは、シャーピンだけは置いて行って欲しかった。
受験生になっても、大学生になっても、シャーピンは帰ってこなかった。
上京をしてみても、シャーピンへの思いは募るばかりだった。
今年こそは、と願ってみても、シャーピンとの再会は叶わなかった。
未練の残った私は、東京でひっそりと縁日が行われるという情報を聞き入れては、その場所に赴いてシャーピンを食べた。
しかし、やはり何かが違う。
あのシャーピンでなければ。
イカした爪のお姉さんが高速で作ってくれる、あの至高のシャーピン。気高いシャーピン。
偉大なる地元のシャーピンよ、私はどれほどの我慢をすればもう一度あなたに会えるのでしょうか。
私はもうこれ以上、この苦しみに耐えられそうにありません。
だが、そんな苦しみは終わる。
そう、今年は何と、4年ぶりに地元の七夕祭りが開催されるのである。
シャーピンの帰還。シャーピン・イズ・バック。
願いは叶えられた。運命は切り拓かれた。
というわけで、今週末、超短期帰省をすることにした。
目的はもちろんシャーピン。
これが関東圏出身の民の必殺技、『すぐ行ってすぐ帰ってくる』である。
私がシャーピンと対面するのは、実に中学3年生以来、6年ぶりである。
6年ぶり?中学3年が6年前なのか?
そうなのか。
何か苦しいというか、悲しい気持ちになった。
何はともあれ、希望は失わないことだ。
時の流れは、時に残酷だが、時に問題を解決するのに最も信頼できる手段になる。
だから今は苦しくとも耐え、その時を待つことである。
そうすれば、いつか必ずシャーピンを食べることができる。
私はシャーピンから、そんな教訓を学んだ。
今週末は地元でシャーピン、もといお祭りを存分に楽しんでこようと思う。