部長の記憶喪失の持つ意味

独りぼっちにされる春田

部長が“はるたん”を忘れてしまったのは、春田にとって一大事だった。

春田にとって“はるたん”とは、部長の10年以上にも及ぶ春田への愛であり、春田が部長と過ごした時間そのもの。だから春田だけを部長が忘れてしまうのは、春田の中の部長との日々が失われたのと同じ事だ。一緒に抱えてくれる人のいない想い出は寂しいし、なかったみたいに思えてしまう。部長の記憶喪失は春田から部長を奪い、部長との関係において春田を独りぼっちにしてしまう。

春田はこれまで何度も独りぼっちにされてきた。
最初は母親幸枝。突然出て行くと朝に宣言して、本当にその日の夜にはいなくなってしまった。
母親の不在は春田にとって家事に困るだけではないと思う。
そもそも33歳にもなる息子をいつまでも家に置いて世話を焼く母親と、それを甘んじて受ける息子。恐らく春田だけでなく幸枝もお互いに依存するところが大きかった気がする。
母親に出て行かれた後にわかるのは、春田が洗濯はもちろん料理だって何一つできない事。トイレットペーパーの場所すらわからない。一見厳しい母親のようだけど、実際は息子に何もさせず世話してきた訳で、ある意味で過保護なくらい甘やかしていたんだろう。母子家庭で苦労したであろう幸枝にとって、やっぱり一人息子は可愛いし誰より幸せを願っている。
その愛情に対して春田もなんら疑問に思わず受け入れている。母の不在は春田を無条件に愛してくれる人の不在だった。

その春田の空白を埋めたのが後輩の牧凌太だ。家事をこなしてくれるだけでも有難いが、春田にはそれ以上に心寄せられる人ができたという意味合いがある。
性質として人懐っこい春田は、裏を返せば寂しがり屋だ。母親の家出を知って半日と空けずに牧をルームシェアに誘い、見事牧は引っ越してきてくれた。

話は少し逸れるけど、春田は一人でいられないタイプじゃないかと思う。物理的に人に側にいて欲しい。それは周りの人を大事にしている事にも現れてる。人との接触に殊更幸福を覚えるタイプ。
春田は香港から帰って一番にスーツケースのまま営業所へ顔を出す。帰ってきた事をすぐに会って報告したいからだ。「今日は休みでもよかったんだぞ」と政宗にも言われてるのでもわかるように、出勤する必要はなかったんだろう。
そして仕事終わりには、そのままわんだほうへ。鉄平兄とちずにも顔を見せに行かねばいられない。そういうとこ、春田っぽい。

さて話を戻すと…
2話で牧を必死に探す春田は、恋愛以前に牧を共に暮らす相棒として、人として牧を好きになっていた(私はもうそれを恋愛感情の芽生えだと思ってるんだけど)。春田も「牧が必要」だと言ってる。もちろん家事をしてくれるからではない。
そして付き合ってと言われて頷き、言われるまま牧の両親に挨拶へ行く春田には、もう牧が自分にとって必要だということは揺るぎない(ただその感情が何なのかは理解していない)。けれどもその夜、牧に「春田さんのことなんて好きじゃない」(書くだけで胸が痛む)って言われた時に、春田は牧という拠り所を失くした。春田を愛してくれる人をまた失ったのだ。

その空白を今度は部長が埋める。
牧の不在を埋めるように春田家に移り住み、世話を焼き、春田を立ち直らせる。
この部長との生活を含む空白の一年に、どんなことがあったかは想像するしかないけど、春田にとって部長は尊敬する上司であり、尚且つ自分を愛してくれる人であった。そして一緒に生活をしたことで、部長は春田にとって最初から不在の父親の空白をも埋める存在にまでなったんじゃないかと思っている。
春田にとって結婚は家族になる事。そうであれば、部長と家族になる事は、あの時の春田には受け入れるのに難しい結論じゃなかったのかも知れない。もちろんそこには恋愛感情が必要だと後になって気付く訳だけど。
二人の結婚式。緊張する春田を優しく抱きしめ落ち着かせてくれる部長。それはまるで怖がる子どもをたしなめる父親にも見える。

香港から帰国後すぐに部長と対面した春田。部長も春田も想いが溢れるように抱擁する(ここ!マジで泣ける!)。
もちろん部長は春田を諦めてもう一年で、春田ももう牧への想いは間違いない。だから二人の関係は恋愛とは違う。それでも二人の関係性は牧とのそれとは全く違う特別なものになっていて、10年以上も掛けた二人の絆はもしかすると牧より強いかもしれない(牧は長さより深さだと言うと思うけど)。

「部長と過ごした日々は簡単には戻ってこなかった」というナレーションは春田のモノローグでもある。春田は部長との日々を取り戻したいのだ。
“はるたん”を思い出しそうになる部長に、あんなに必死に期待する春田が切ない。

部長が春田の記憶を失うのは、部長が再び春田を好きになる為だけの設定ではない

劇場版で部長が春田の記憶を失うのは、部長が再び春田を好きになる為だけの設定ではなく、春田が大事なものを失う象徴の一つ。

あんなに周りを大事にし、誰からも愛される春田なのに、何故かいつも独りにされ、また劇場版でも牧に出て行かれる。
春田が最も失いたくないのは牧だ。その大切な牧への愛情を上海転勤後からの一年で、私達の想像以上に強めていった。
だからこそせっかく一緒に住めるようになったのに、牧が出て行くことに春田は全く納得していない。だけどやっぱり春田はそれを受け入れる。もちろん仕方なく。
春田はドラマの時からそうだけど、牧の突飛な言動(牧にはちゃんと脈略も原因もあるんだけど)に振り回される。突然のシャワー告白&キスに始まり、書き出せばホントにキリがない。そしていつも春田は自分なりに得心してそれを受け入れていく。
春田が能動的になるのは牧を失う危機にある時だ。2話で牧を探して街を走り回り、家を出るという牧を引き止める。4話で家を出て行く牧をバックハグで引き止める。7話で出て行った牧を探してプロポーズで自分の元へ連れ戻した。
ドラマで何度も春田は牧を失いかけては連れ戻しているのだ。

それなのに、春田は初めて自分から牧を手離した。牧がまた家を出たこと、部長が自分を忘れたこと、春田にとって過酷な精神状態だ。側に誰かいて欲しい春田にとって、長く一人で海外赴任を耐えられたのは牧が心にあったから。いざまた対峙すると牧は逃げ腰で、春田には訳がわからなかっただろう。ずっと自分が留守の間、春田家を一人で守ってくれていた牧があっさり家を出て行ったことは、春田にとって一度目とは比にならない辛さだろう。その上、牧パパ芳郎には「別れてやって欲しい」とまで言われ、心配で訪れた病院では自分より先に牧の側にいた狸穴を発見する。
今回は春田への試練が過酷だ。
なんでか。それはドラマ版が“人を愛するとは何かに気付く”春田の物語だったのに対して、劇場版では“永遠の愛とは何かを知る“春田の物語だからだ。

大切な人を失うことは、ジャスや狸穴が抱える家族への想いにも現れてるし、春田自身も過去に父親を失っている(亡くなったのか離婚かわからないけど)。失う事の辛さは、その相手が自分にとっていかに大切かという事に比例する。今回の春田にとって牧を失う事は身を切るほど辛かっただろう。まして自分から手離した事で春田がいかに牧を大切に想っているか、かけがえのない人だと思っているかがわかる。

もう一度言うけど、部長が春田の記憶を失うのは、春田が大事なものを失う怖さを知り、取り戻すまでのメタファー。
春田が炎の中、もうこのまま死んでしまうかもしれないと思った時、たとえ死んでも一緒にいたいのは牧だと、心の中芯で悟る。牧への想いは春田の中で量は同じだけど、重さが変わった。そして春田の中でその想いは錨のように揺れる春田を留めておくのだ。
ドラマ7話でプロポーズ後に抱き合う二人の後ろにBGMはない。同じように劇場版で炎の中から二人が生還する場面でもBGMはない。ドラマの抱き合う二人が“愛し合う二人”なら、劇場版の炎から生還する二人は“支え合う二人”なのだ。
付き合う二人ならただ好きだという感情だけで成立する。でも結婚するということは好きだという感情をただ向けるだけでは難しい。炎の中での春田の言葉はまさに、神さまの前で誓う、あの誓いの言葉だ。

『健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓います』

春田の10個の羅列はまさにこの誓いと同じ重みがある。いやそれ以上。命尽きてもなお牧と一緒にいるのだ。
倒れた春田を牧が助け、瓦礫に挟まれた牧を春田が助け、春田に肩を貸し、牧を背負う。炎からの生還は二人が支え合わねば成し得ないのだ。誓いの言葉を体現した二人だった。

そして生還した先に待つのは、“はるたん”を思い出した部長だった。
春田が“永遠の愛”を知り大切な牧を取り戻したことで、部長の記憶喪失の使命も終わる。
部長が「はる…たん」と呼んだ時、春田の感情が溢れ出すあの表情。春田にとって、部長もまた大切な人なのだ。
そして部長と抱き合う春田の周りで、牧も政宗に抱え込まれ牧もしっかり肩を寄せている。牧にとってもまた政宗との日々はかけがえのない牧自身を作ったその一部だ。部長と政宗は二人にとって同じような立ち位置で、二人がこれから先、幸せを紡いでいくのに大切な存在なんだ。
ドラマに続く大団円だった。

ラストについて

牧は一人でも平気なタイプじゃないかな。側にいなくても、愛があれば離れてても大丈夫。春田と真逆。上海香港中も春田の方がたくさん帰って来てた気がする。だからあの劇場版オープニングの春田がびっくりした顔なのかな。牧が来てくれた事にびっくりし過ぎて、イケメン外国人なんか頭からスッカリいなくなってる。
牧は精神的には自己評価が低かったり、オレなんてみたいな性格なんだけど、これと決めたら一直線。春田を好きとなったら真っしぐら。なのに前者の性格が邪魔をして、最終踏み込めない。
でも恋愛じゃなく仕事となると後者の性格でグイグイいける。逆に牧には仕事は自己評価できる分野で、だからこそのめり込む。牧の夢が世界を視野に入れたようなビッグプロジェクトだったりするのを考えても、仕事には自信があるし、自分を表現できる場所なんだろう。

で、ラストだけど。
春田が「偉くなれよ」って言ってるのは、まさしく牧の目指す先がかなり高みだからなんだろう。そしてその事を春田がちゃんと理解する程に二人でしっかり語り合ったからそんな言葉が出た。だからこそ春田は牧の旅立ちを誰よりも応援したい。笑顔で送りたい。
名前を呼ぶくだりも、春田はお互いを配偶者として別々の苗字から抜け出て、新しく家族をつくる二人だと言いたい。きっと二人の新居もあるし、指輪だって二人同じものをつけてる。きっとどちらも春田からの提案だろう。そんな気がするのはあの場面の全てが春田主導だから。春田が牧と離れることに、なんとか折り合いをつけたくて、自分の中で二人の関係性を確かめたい気持ちなんじゃないかなと思う。二人は離れても大丈夫だと思いたい。そして笑顔で送りたい。もしかしたら春田が一番切ない場面。
でも逆に牧は全然心配なんかしてなくて、春田の謎のテンションに付き合ってる感じがする。牧は自分が相手を好きなら大丈夫なんじゃないかな。それが牧の強さで、牧らしい気がする。このシーンでも一度も切なさは感じない。
反対に、抱きしめた牧の肩で今にも泣きそうな顔の春田。ずっと笑顔でいたけど、牧から見えないこの瞬間だけ、春田の本心が見えてしまう。

行かないで欲しい。側にいて欲しい。名前を呼んで呼ばれて、温もりを確かめ合って、そしてずっとこうして抱き合っていたい。

それを振り切って、抱きしめた牧を離す春田の表情は切なくも愛情深い。

この春田の切なさのせいで「続きはよ」って気になってしまうのだ。
初見時、エンドロールで桜並木を歩く春田を観てて、あぁ完結だと思ったんだ。けどあの本当のラストカットで、あぁ「続きはよ」ってなる。言っちゃ悪いな、完結だし出し切ったって言ってるし、でも「続きくれ」ってなる。春田と牧がそれぞれの夢を追いながらも二人が愛し合い幸せに暮らしていることを確認したい。だからもう仕方ない。「ちょっと続きくれよ」

あぁまたよくわからない終わり方になった…

おっさんずラブへの愛を語るnoteです ドラマをリアタイし激ハマりし、今なお漂っています