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私の人生は文学ではない
私は自分の人生を文学としてみることをやめた。
人間はどこかで自分を特別だと思う。その考え方は尊いものであり、誰しもがそう思うものだ。
そう、誰しもがそう思うのだ。
そしたら「自分が特別であると祈ること」など既に特別でもなんでもない、普通の人間なのだろうか。
それならば「自分は特別でないと諦めること」は普通ではない、特別なのだろうか。
すでに消費されつくされたありふれた言葉で表現するならば
普通とはなんだろうか
テレビに出れば特別になれるだろうか。
教科書に乗れば特別になれるだろうか。
他人から愛されれば特別になれるだろうか。
きっとそのどれも特別にはなれない。
私のような人間では特別にはなれない。
さて、特別になれない私に生きる価値はあるのだろうか。
きっとある。どこかにある。
いつかどこかで自分が特別と思える瞬間がある。
私はなぜ、その「いつか」を待ち、その「どこか」を探さねばならない。
そう思った瞬間に私の人生は文学ではなくなった。
秋晴れの心地よい午前9時も
雨上がりの蒸し暑い午後5時も
酒を飲んで友と笑い合った深夜1時でさえも
私にとって、平凡な日常である。
気取った文章で書ける人生ではない。
格好をつけられる人生ではない。
だって特別な人生ではない。
そう思えた瞬間、心は軽くなって
命の価値も軽くなって
空っぽで平凡な私の人生が始まった。