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No.212 |飲み会で無礼講なんて存在しない
2023年8月5日 たまちゃんの「いつか何ものかになる道」 No.212
当ブログは、30代後半の元ポンコツのサラリーマンが何ものかに変化変容を果たす過程をリアルに発信します。
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■心理的安全性
上司が意図的に緊張するような場面を演出すると、部下は緊張した動作を取りますよね。
一方で、各自が安心するような場面を演出すると、部下は緊張感を緩和した動作を取ります。
おそらく、今話題の中古車会社は前者ばかりで、心理的安全性というものは確保されてはいなさそうです。
心理的安全性とは、この場では何を言ってもいいんだという環境を作ることのようですよね。
上司が心理的安全性を確保しているつもりでも、後ほどその場で発言したことを嫌な感じで蒸し返されたり、覚えていてその場の発言で評価をしたりするのが部下に伝われば、それは心理的安全性を確保していることにはなりません。
あくまでも、受け手側がどう感じているかが重要です。
■飲み会の無礼講
飲み会で無礼講だと言われて、本音トークをしてしまうと、翌日、素面になったタイミングで痛い目を見るということや後になって評価がマイナスになったということ、が生じることってありますよね。
その時になって、本当は無礼講ではなかったことを知るわけです。
私が新卒入社2年目の時、ある役員と数人の同僚とで話をする機会がありました。
役員が話を聞きたいとのこと。
ざっくばらんに話をしたいとのことでした。
リーマンショックから立ち直り、業績が良かったため、海外研修が数年ぶりに実施されることになり、それについて「海外研修についてどう思うか?」と質問されたため、私は「体(てい)の良い社員旅行ですよね?」と話をしました。
それを聞いた役員は「そんなことはない!」と激怒し、研修の趣旨等を力説していましたが、この役員が分かっていなかったのは、たとえそうであろうが、私はじめ多くの社員にはそのように映っていたという事実。
ただ、よくもまあ、そんなことをはっきりと言った自分に驚きではあります。
今、昔の自分が目の前にいたら、Z世代は何を考えているか分からない、とんでもないやつが入ってきた、と思うことでしょう。
そう考えますと、別に世代の問題でもないようにも思えます。
話を戻すと、無礼講と言っても無礼講にはしてくれない方が多いです。
だいたい、無礼講ではない環境だから無礼講が必要であり、そんな環境にいる上司が無礼講で済ますわけがないんですよね。
したがって、無礼講だと言われても決して心を許さず、
・無礼講の状態でも私はこうした振る舞いができる裏表のない人間です
・気を遣えるのが平常時なのです
という風にふるまうことが望ましくなります。
しかし、上司は、心理的安全性を確保し、彼らは本音を語ってくれていると思ってしまう哀れな状況になってしまうこともありそうです。
なるほど、こうした上司はかなり気の毒な存在ではありますが、下からすればそれが生き残っていくための方法なのだから仕方がない部分があります。
この形だけの心理的安全性の確保にならないように私も留意したいものです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
本日も「即断・即決・即実行」「わからないからすべてやる」「二度手間万歳!三度手間最高!」「習うより慣れよ」「批評家ではなく、実践家であれ!」でいきます!
●本日のまとめ
無礼講と言われても無礼講ではないことが多い。だいたい普段そうではないのに、飲み会で急に無礼講にできる人間などいない。
自身が心理的安全性を確保出来ているかは留意したいポイントである。