イマジン
先週にひきつづき、音の方へ。
GEZAN LIVE。
美しいことも、汚いことも、いろんなことを背負わせてきた彼の声は、前日に襲撃にあったのだという。いつもの声以上の嗄れ声でなんども頭を叩きながら苦しそうに歌う姿。
「でも、不都合なこととか、人に隠したいようなこととか、そういうものもぜんぶ見せていきたいと思っているから」
いつもの声で歌う彼を思い出しながら、その日の彼を見る。聴く。これが LIVEにくるということだ、と実感をもって思う。
それでも後半になるにつれてすこしずつ調子をもどしてきた声に、ゆらりゆらりと美しく踊る姿に、うれしさが広がる場の空気。ロックンロールの底力。浮き沈みの人生を見ているような、生き様を見ているような。魂を。
暴れ狂う前列の人、ダイブ、放り出されたギター、つながらないアンプ、めちゃくちゃな音、知らない人がステージに紛れ込むカオス。暴動のようでも賛歌のようでもある。バカらしくて、笑えて、真剣。それを最後尾から眺めマスクの下で誰にもバレないように小さく歌う、その場への自分の距離について考える。
おわってからも音が体に残る。
ビールを飲み、肉を食べながら、ちいさく揺れつづける体。帰り道、スマホの画面に打つ言葉。
戦争や政治や社会のことに触れる彼の歌が古くならない意味を考える。
手探りでも拙くても、後で心底恥ずかしくなったとしても、それでも残しておきたいと思うことのいろいろについて。
言葉にも絵にも性格にもいろんな形の理想があって、でもとどかないもどかしさとかくやしさとか。そういうものを連れながら、相変わらず綺麗事を言い続けたいし、でもそれだけではいけないこともわかっていて。そういう複雑さと一緒に生きていたいと、今日も、今日も、思う。