好みと想像力と。
はじめに
徒然なる回想です。
最近、小説やドラマを観るようになりました。観られるようになった、というのかもしれません。観る時間を意図的につくっているような気もします。自分にとって利益の有無で行動を律してきた中で、そういったものは娯楽として自律を乱すものとして制限してきたものでもあります。ただし、それらが与えてくれる人生の豊かさは娯楽としての要素に止まらず、人としての考え方や感じ方についての教科書の役割も果たすものであるとも考えていました。それをやっと、受け入れる準備として読む、観る、といったことをする、できるようになりました。
入り込めるお話し
言葉遊びはこれくらいにして、本題です。
好きなお話し、おすすめの物語、入り込めるものの違いが、ふと頭に浮かびました。心理描写の有無や繊細さです。どんなお話しも、関連のない要素を省かれています。だからこその想像力への働きかけや入り込めるものであるとは思いますが、必要な要素について、いかに迫力があるか、緊迫した状況かを、事細かに描かれていることが違いなのではないかと思い当たりました。
心理描写の有無や繊細さは、あればあるほどいい、という結論ではありません。何の違いを生むのかな気がしています。
あると、読む人、観る人の想像でなく、描く人の表現である文字や画を通してその状況での心境を知ることができます。あくまで一部であっても、要所要所での感情や考えの起伏で、性格をより具体的に想像することができます。
ないと、受け取り手の経験や知識がものを言うような気がします。なぜそんな行動をとるのかについての考え方。細かい動作や表情を、読み取れるか否か。冷静な状況整理と分析。そのほか、主人公の外の様子を詳細に記してある場合が多い気がしています。主人公軸でなく、主人公を中心とした世界の様子を描いているイメージです。
どちらも想像の余地があり、読む度に、歳を重ねる度に、違う解釈や印象となり得ます。その余地がどれくらいあり、いかに印象づけられるか。
心理描写が繊細であるほうが、私自身、自分の想像の域を超える衝撃があり、本や物語、お話しとして残る気がしています。
はじまり
今、映画化が春になされるドラマを観ています。常識や今までの考え方、自分の好みから様々考えるきっかけになりました。しばらく衝撃の熱が冷めず、繰り返し観ています。よく読んでいた本でさえ、繰り返し読み返すことの少なかった自分への衝撃も、重ねてありました。
自分がその状況を追体験するような描写は、「檸檬」や「こころ」に共通するものを感じました。ここまでの興奮を得られた作品に、脱帽です。
漫画が原作である作品であるため、ドラマを観た後に遅れながらも原作も読みました。不思議と印象も受け取られるものも違って見えて、きっと原作の好きな方にとってみると違うのかもしれない、と思ったのが1番です。表情の作り方や間の取り方、距離感といったものが細かく表現されているドラマにおいて衝撃を受けたのだということを、突きつけられたように感じました。
同時に他の小説も読み進めていたのもあり、それぞれの作品の違いを目の当たりにしています。視点の置き方や言及するもの、いかにそれぞれ伝えたいものを描写するのかについては、事実だけを連ねる文字と感情の入り混じる生々しさを含むものとでは、印象が全く異なります。きっと良し悪しでなく、好みも大きく影響していることだと思います。ここまで書いてみようと思わせる強い原動力となった作品たちに出会えて、日々の出会いの積み重ねの必要性や自身に秘める無意識な深さは、より意識していきたいものです。
さいごに
久しぶりに、この場に文章として残そうと思った回想でした。映画公開まで、この熱がどう変化するのかが楽しみでありつつ、怖さ半分です。観たことによって、改めて加熱されることを期待しています。
では、またの機会に。