【その6】番外編:6年生のお姉ちゃんも不登校になったけど、今元気に自由な中学生をやってる話
公立小学校の入学しょっぱなから不登校になり、インターナショナルスクールに転校して元気になった息子の話を、これまで何回かにわたり紹介してきました。こちらから。
それから3年後。
今度は、そんな弟を心配して支えてくれたお姉ちゃんが、卒業間際の2か月間ほど不登校になったことについて綴ろうと思います。
過去の話になったからこそ、こうして記録に残そうという気になったわけですが、当時は私(母)、とても焦りました。息子の不登校を経験していたのにも関わらず、です。
女子のいざこざに巻き込まれる
最初のきっかけは、6年生の3学期が始まって数日が過ぎた頃、クラスにいるボス的な女の子にまつわる、いざこざに巻き込まれたことでした。
娘は、わりと穏やかで、誰とでもなんとなーく仲良くできる感じの性格です。おおざっぱで、細かいことを気にしない(ゆえに、忘れ物ばかりだし、部屋も汚いけれど)ところは、南国出身のパパのDNAを受け継いでいるな、という感じ。神経質で細かいことにこだわる息子とは、全然違うと思ってました。
だから、「今日休む」と言っても、また明日には切り替えて行くんだろうな、と軽い気持ちでいました。
ところが、次の日になっても、またその次の日になっても、登校する気配がありません。私は、息子のときの失敗を繰り返すまい、と固く心に誓い、見守る姿勢を貫くつもりでした。
学校からの連絡に焦ってペースがくずれる
担任の先生も事情をよくわかってくれていたし、私も娘も先生を信頼していました。
でも、「無理はしないでください。いつでも待ってます」とか、「卒業式の練習が〇日から始まります」とか、そんな先生からの電話連絡がプレッシャーになって、だんだん私の方が焦ってきました。
休日ショッピングモールに行くと、何万円もする卒業式用のスーツが並んでいるのを見て、「これ買っても行かないってなったら、嫌だな…」と、親子揃ってドヨーンとなったりもしました。
そんな矢先、ついに玄関先で、「今日は行きなさい!」「行かない!!」の揉み合いになりました。私も娘も泣きながら。大失敗です…。今回は絶対にこうなるまい、と心に決めていたのに。とほほ。
この時点で不登校になってから一か月ほどたっていました。が、母の体感的には半年分は老けた感じ。とても長く感じていました。心では「別に行かなくてもいい。私も学校嫌いだったし」と思っているのに、毎日暇そうにしている娘を見て、心配とともにイライラやもどかしさが募ってきたのも、この頃。
せめてもの救いは、このまま行かなかったとしても、卒業という出口が見えていたことでした。
そして、習い事のダンスにはそれまでと変わらず通っていたし、保育園時代からの大親友が毎日放課後家まで来てくれて、それまでと何も変わらないお喋りをしてくれていたのも、よりどころになっていました。
状況の好転は病院の受診
担任によると、原因と思われていたいざこざは、どうやら娘の勘違いだったよう。そうなると、真の原因はなんのか、と気になってくるわけです。
そこでふと、いつかどこかで目にした「起立性調節障害」という言葉が頭に浮かびました。ピンときた私は、その日の帰り道、大きめの本屋に寄って起立性調節障害の本を購入。読めば読むほど、疑いが確信に変わっていきます…。
帰宅後、早速、本を見せながら娘に話をして、翌日かかりつけのクリニックへ行きました。諸々の検査をして、やはり娘は「起立性調節障害」だという診断でした。
不登校になる直前、生理が始まったことや、中学受験をしていたこと(後述しますが、世間一般でいう熾烈な中学受験とはまったく異なるものです)なども、影響していたもよう。
診断を受けた娘は、「起立性調節障害で朝起きれないから学校行けなかったんだ、って友達に言えばいいよね」と晴れ晴れした様子。
今ふり返ると、登校するきっかけと、ほんの少しの勇気がなくて、休みが長引いてしまった、ということだったんだと思います。
効果があったかどうかはわからないですが、知り合いの整体にも何度か通いました。気持ちは落ち着いたようでした。
保健室登校開始
翌日から保健室登校を開始しました。登校班に間に合う時間に起きているのに、人目を避けるようにわざと少し遅刻して。
数日したら登校班で行くようになるだろうと思っていたのですが、結局最後の最後まで、娘はこのスタイルを貫きます。
ただ、卒業式の練習をきっかけに保健室登校から教室へ入るようになり、日中は教室で過ごすようになりました。
卒業式
そんなわけで、どうにかこうにか卒業式の練習も間に合い、当日。
ポップな感じで卒業生を一人ずつ紹介してくれて、幕の後ろから呼ばれた子が登場するシーンがありました。登場する卒業生は、ちょっとしたパフォーマンスをしたり、真面目にお辞儀をしたり、それぞれ個性が出ています。
いよいよ娘の番だと待ち構えていると、「ダンスが大好き、〇〇ちゃん!」と紹介され、娘は、当時流行っていたお笑い芸人の一発ネタをやりながら登場しました。それに続き、その後の数人も同じネタをやるという…。
「なんだ元気じゃん、みんなの前でふざけられるんじゃん」と安堵したのを覚えています。
元気な中学生に
さて、不登校になる前、娘は中学受験をしていました。この緊張が不登校の原因の一つになったことは確かですが、今ふり返ると、受験をしていたのは大正解でした。
娘は進学塾に通っていたわけでもなく、レベルの高い学校を目指していくつも併願していたわけでもありません。なんなら、受験勉強と呼べるような勉強はまったくしていなくて、前日の夜(しかも私が寝る直前に)、過去問を開いて「これどうやるの?」なんて言っていたレベルののんびり屋さんです。
そんな娘が受験した学校は、一人ひとりの個性を伸ばすために自主性を重視し、テストのためではない本来の学びを実現しようとする、自由な学校です。偶然、我が家から通える範囲にあるんです。全国から生徒が集まり、ここ数年は倍率もぐんと上がっているようですが、娘は不登校になる直前、この学校に合格していました。
近いとはいえ、電車で通うことになるので、登校班より早い時間に出発しなければなりません。でも娘は「学校楽しい、今までと全然違う」と言って、起立性調節障害はどこへやら、毎朝元気に通っています。
結局、気の持ちようが大きいということでしょうかね…。制服もないので、オシャレを楽しみ、中学生らしからぬ茶髪になっている娘を見て、母としては若干複雑ではありますが、楽しいのが一番。
本人いわく「あの不登校があったから、今はもう何でも大丈夫」だそう。
本当にキラキラまぶしい笑顔で、毎日楽しく一学期をすごしたことは、母の目から見ても明らかでした。
もし公立中学に進んでいたら…
もしかしたら、同じように楽しく通っていたかもしれない。
もしかしたら、あの不登校が尾を引いていたかもしれない。
結局のところわからないですが、インターナショナルスクールに転校して元気になった息子も、自由な中学校で開花した娘も、公立校には合わなかったのかもしれません。
お金はかかりますが、心身の健康には変えられないことをしみじみ感じています。家族みんなが元気で過ごしてくれるのが一番。大切なことを気づかせてくれた、娘の不登校ストーリーでした。
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