あなたと一緒に、生きてみたい。
私はどんな「生き方」がしたいんだろう。
私は何か「正解」を求めて生きてはいないだろうか。
先日参加した「生き方見本市」というイベント。
とてもあたたかく心がじんわりした時間だったので、noteにまとめてみようと思う。
…
と思ってイベントが終わった夜からnoteを開いているのだが、なかなか手が進まない。というよりも、想いが溢れて言葉に落とせなかった。
5日間経って、やっと少し頭の整理がついてきたので再びnoteにチャレンジしてみようと思う。
今回の生き方見本市では、様々な生き方をしているゲストが対談式でトークを行う、という形式のものが計3セッション×3回開催された。
最初のうちは、ゲストのカラフルなトークを聞きながら会場にいる様々な人たちを観察して楽しんでいたのだが、
私は途中からあることを感じて怖くなってしまった。
誰もが違う生き方をし、
違う感情をもち、
違う宇宙を抱え、
違う人生を送っている。
それはとてもカラフルで素敵なこと。
でも、「どこにも私の生き方はない。」
私は、何を頼りに生きていったらいいんだろう。
私は、どんな生き方がしたいんだろう。
私は、一人で自分の人生を切り開いていかなければならないんだろうか。
こんな想いを抱えながら、臨んだ最後のセッション。
テーマは、「福祉と自分をつなげて生きる」
実は今まで積極的に関わろうとしてこなかった分野、福祉。でもなぜかあの日は、このセッションを聞きたくてたまらなかった。
「福祉」「障害」「分断」「対話」「ものさし」などというキーワードが散りばめられたトークを聞きながら、どうしても不安になってしまったことがあった。
「私はどうやって人と友達になっていったらいいんだろう。
”障害”というレッテルを貼ってしまう自分がいるのも事実。
いや、障害ある無いは関係ないかもしれない。
他者に対して壁を作ってしまう自分がいる。
どうやったらその壁を超えて、相手のドアをノックできるんだろう。」
私はこの不安に耐えられず、会場からの質問のタイミングでこれを会場に伝えてみた。
すると、コーディネーターの藤本さんがこの問いをまた会場に投げてくれた。そして、あるおじちゃんが、私の問いに答えてくれた。
「ただ僕にしゃべりかけてくれたらいい。そんなに難しいことじゃないんだ。」
実は彼は、脳性麻痺を抱えている。だから、喋るスピードもゆっくりだ。
でも、一つ一つの言葉を丁寧に、深く、伝えてくれた。
この言葉を聞いて、私は泣いてしまった。
ああ、つながりたいと思ってくれている人がいた、と。
ここで、あることに気がついた。
人は一人ひとり違う。
でも、別に「違う」を目指さなくてもいいし、
「同じ」を目指さなくてもいい。
そうじゃなくて、そこじゃなくて、
私がいて、あなたがいて、
一緒にご飯を食べたり、たわいもない話をしたり、
音楽を楽しんだり、遊んだり、時にはぶつかったりもして。
それでも、「一緒に生きていきたい」という余白があるなら。
「コミュニケーションをとりたい」という余白があるなら。
それだけで、私たちは友達になれるのかもしれない。
それだけで、生きていけるのかもしれない。
これが、私の生き方であり、友達のなり方・・・かもしれない。
うん。まだ断定はできないや。
でも、だからこそ、自分が抱える余白を他の人に向けて開いてみようと思う。
もしよかったら、お友達になってくれませんか?
たま
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