「何ということのない日常の大切さ」を実感する話
母とティースペースのあるおしゃれな雑貨屋さんをぶらぶらする。
母がヒールのある膝下くらいのブーツを履いてみたいと言う。
そもそも歩行器を使っても歩くのが困難なのに、そんなブーツなんて…
と思っているといつの間にか履いて歩いている。
そしていつの間にか母はお店の地下を覗いてきて
「〇〇という表示があった。昔から行ってみたかったから行ってみよう」
という。
〇〇は建築物の名前でもあるが予備校の名称でもあり、母が見たのは予備校の案内表示だと思う。
そうでなくても母を徒歩で移動させるのは困難なのだ。
ティールームでそんな説明をしながら、私は母の身体の調子や帰りの時間や手段などが気になって、そわそわしている。
「そろそろ帰ろうか」
と声をかけると、母はポットに紅茶を作ろうとしている。
この店は次の人のために紅茶を作って置いておくようだし、母にそういう意思があるのなら作らせてみよう、とお店の人に申し出ると、
「注ぎ足しでなく、新しいポットとお茶を使ってください」
と用意をしてくれる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そこで目が覚めた。
こんな夢を見るのは先週実家に帰ったからだろうか。昨日は私が娘と銀ブラをしたからだろうか。
実際の母は歩行器で部屋から部屋を移動するのがやっとであるし認知機能もずいぶん衰えてきている。
夢の中ではそれなりに動いて意思表示もしていて、私はひとりで「大丈夫なのか」とオロオロしていた。
現実に戻って、
夢の中くらい、したいことをさせてやればよかった
と思ったりする。
目が覚めてもしばらくはそのそわそわ感が残っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私はウィンドーショッピングが好きで、買い物せずとも色々見て歩きカフェで休憩するだけでも楽しめる。
思いつくまま気の向くままなので殆ど一人なのだが、このぶらぶらに唯一気兼ねなく誘えるのは娘である。
たまたま昨日は娘が
「休日は、起きた時間やその時の思いつきで時間を決めず行動するのが気が楽」
と言っていて、それに同感するやりとりをしていた。
(娘はその前日は会社の先輩たちと競馬に行っていたのだが…苦笑)
よく
「失って気づく、何ということのない日常の大切さ」
という話を聞くのだが、私はもうこの日常の大切さに気づいているようだ。