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こればかりは、金遣いを荒く。

私は、父親におもちゃを買ってもらった、という記憶がない。

しかしながら、父が私に、「いくらでも好きなものを買ってやる」という瞬間が定期的に必ずあった。本である。「本ならお金を出してやるからいくらでも買いなさい」東京都心に行ったときは必ずジュンク堂に立ち寄り、私はいつも読みたい本をかご一杯に十数冊詰めて父と一緒にレジに並んだ。
父は本屋に行くとき以外にめったにお小遣いをくれなかったが、くれるとすればいつも図書カードだった。私は図書カードを使い切ってもその絵柄を集めて何枚か持っていたから、要するに父は頻繁に図書カードをくれたのだと思う。
新刊書店のみならず、神保町の古書店街も小さいときからたくさん回った。よっぽど幼少期から行っていたのか、私の本棚には古書の絵本も何冊かある。いつも両手いっぱい抱えきれるギリギリの本を抱えて、洋食屋で昼食を食べて帰るのである。

私が母からお小遣いをもらう年になっても、父はことあるごとに本は買ってくれたし、「本だけはとにかく買え、いくらでもいいから買え」と言い続けてきた。

そんな父のおかげで、私は大の本好き。小学4年生の頃には図書室の本をすべて読破し、部屋には何よりも本が溢れていた。自分の部屋を持てた時、部屋と一緒に与えられたのが天井まで届く本棚1つ。その本棚も、一瞬で埋まり、横に重ねたり二重にしたりしてどうにかこうにか収まっていたが、ついには新しい本棚を導入することになった。家は壁という壁が本棚でできている。

幼い頃に、ゲームを際限なく買ってもらえるよりも、本を金に糸目つけずに買えた、というこの経験は、大人になってもなぜか本を両手いっぱいに買ってしまう、という私の今の習性に結びついている。新社会人として初任給が出るまでの2ヶ月の間、私は貯金が底をついて両親に借金をしていたが、それでも本は買った。
といっても、最近では新刊を十数冊買いこむなんていう”大人買い”はあまりできていない。思えば、児童書の安いやつでも10冊買ったら1万円になる。それを考えると父はだいぶ太っ腹だったのだな、と思う。感謝。どこからそんなお金が出てきたんだ。
でも薄給にあえぐ私だって神保町に行けば持って行った2つの大きなエコバックがいっぱいになって帰ってくる。そして、図書館に行った時も、制限の10冊借りて帰ってしまう。

幼い頃は買ってきたそばから貪るように本を読めたのに、最近ではどうにも本を読む習慣が摩耗してしまって寂しく思う。そんなある日、実家に帰って自分の本棚を整理していると、買った当時はピンとこなかったものの今の私にはしっくりきそうな本が十冊ほど見つかったもので、やはり持っていたエコバッグに入れて家に持って帰ってきた。それから、細々と私の本習慣は戻ってきつつある。不思議なことに、この習慣が戻ってきたことで、私は自分を少しずつ取り戻せている気すらする。

ストレスや不安な気持ちがたまったときに、本屋に行ってしばらく紙のにおいを嗅いでいると、いつの間にか気持ちが落ち着いてくることすらある。私の人生にとって、本に囲まれていることは本当に必須らしい。

それにしても、幼少期から教わった「金遣いの荒さ」がつくづくほかの分野でなくてよかった、と思う。ただ、一つだけあるとすれば、父は100円ショップも大好きで、大型店に定期的に行ってはいろいろなものを買いそろえていた。幼いとき一緒に行くと1つから3つ、好きなものを買ってもらえた。そのせいで、私は今でも100均につい立ち寄ってしまうし、気づけばかごがいっぱいになる”大人買い”をしてしまうのだけは、自分でもトホホ、と思うところである。

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