VRC議事録:苦手な人との会話をどう乗り越える?ー会話と感情コントロールについて
議題:苦手な人との会話をどう乗り越える?
最近、VRChatではNAGiSAというワールドが話題である。
NAGiSAはそのインスタンスに入っている人をランダムでマッチング、5分単位で1ON1会話をセットする、というユニークなワールドだ。5分経過すると、自動的に次の相手とマッチングされる。つまり、知らない人と5分単位でずっと話していくことになる。
しかし、これはNAGiSAに限った話ではないが、人と会話をするとき、ほとんどの人とは楽しく会話ができたとしても、自分と合わないユーザーや人の話を聞かないユーザーに出会うのは避けられない。
この点、実際に苦手なユーザーと出会ったかどうかだけでなく、
「そういった人がいるかもしれない」
という不安そのものが、会話参加のハードルになることがある。
これに対してどのように対応すべきか?について話した。
まとめると:
会話で「苦手な人と会わないか?」と不安を覚えるのは自然なことである。ただし、「実際のリスク」と、「不安・恐怖」は分けて考えよう。
あらかじめ「変なやつだったら即抜ける!」など対策をねっておくと不安感の削減に便利。状況のコントロール感が高まるからである。
感情そのものの発生をコントロールすることはできないが、感情に引きずられないよう行動をコントロールすることはできる。
そのためには感情そのもの・理由・適切な行動の3つを認識すると便利である。いずれにせよ、まずは感情を受け入れるところから始めよう。
具体的な議事は下記
リスクと恐怖を分割する
さて、知らない人と話すとなれば、誰でも多かれ少なかれ緊張を覚えるものだ。苦手な人が混ざっているとなればなおさらである。
ただ、この問題は「怖い・不安だ」という単純な問題であるように見えて、
・実際にそういう人に会ってしまうというリスクそのもの
・会うかもしれないという不安・恐怖感
という2つの要素で構成されている。
この点、前者のリスク的視点でみた場合、
この世の中に全員がマッチするという状態はありえない。
だとすれば、人と話す以上、苦手な人と出会うのは避けられない。苦手な人と出会うリスクがあったとしても、割合としては少ない。
といったある種合理的な計算が考えられる。これは過度に恐れるのを防止する方法として効果的だ。プロスペクト理論などに代表されるように人間の認知はマイナスを大きく評価する傾向にある。恐れていた事象が冷静に考えると大したことがなかった、ということは誰にでもあるのではなかろうか。
これら点でリスク計算は有効である。一方で、いくらリスクを計算したところで、それだけではこの問題は解決しない。
仮にそれが確率的にはごくごく僅かなリスクであったとしても、恐怖を覚えることもまた事実だからである。
たとえば、ゴキブリは我々人類にとって大した危険性はない。
しかし
「ゴキブリは危険な昆虫じゃないよ!あなたの家に100匹いますけど」
といわれれば恐怖はむしろ倍増するであろう。なぜなら、我々はやつに危険を感じているのではなく、恐怖を感じているからである。
問題に対してイニシアティブを取る:
自己コントロール感を高める
では、後者の不安による恐怖感を減少させるにはどうしたらよいだろうか?一つの方法として
「あらかじめ対処法を想定し、自分の行動に組み込む」
という方法が挙げられた。
たとえば、合わないと思ったらすぐ退出する、などである。
発生しうる状況に対してあらかじめ反応を設定しておくと、状況に振り回されるのではなく、自らイニシアティブを取って先手を打つことができる。ようするに「この問題、進◯ゼミでやったところだ!」というあれである。
根本的に、対処方法がわからないイベントというのは人を不安にさせる。
上記方法は一つの例であるが、不安による恐怖の軽減としては、「自分がコントロールできる」という感覚を高めることが有効であると思われる。
感情のコントロール:
まずは自分の感情を理解する
ここまでは主に会話に関する不安感・恐怖感のコントロールであったが、コントロール感を高めることが感情の制御に役立つ、という意味では会話というシチュエーションに限定はされまい。特に、感情をコントロールすることができればいろいろな場面で役立つ。
では、どうすれば感情のコントロール力を高めることができるだろうか?
この点、そもそも「感情の発生そのもの」を抑えることは難しい。
感情そのものは事実としてそこに存在する。理由のいかんを問わず、嫌なものは嫌だし、怖いものは怖いのである。というか、考えるよりも先に感情は発生するので、考えて止めるのは無理だ。
一方で、発生した感情から行動に移るというフェーズでは、多少のコントロールが可能であると考えられる。なぜなら、それはすでに発生したものを観察するプロセスだからである。
思うに、感情のコントロールで問題が生ずるケースというのは、「自分がやりたくないことを感情にひきずられてやってしまう」点にある。たとえば、怒りにまかせてモノにあたったり、ストレスにまかせてどか食いしたり、といったケースだ。
このとき、有効だと思われるのは、下記3つの認識を持つことである
【感情そのものの認識】自分がいまどういう感情を抱いているか
【感情の理由の認識】自分がなぜその感情を抱いているか?
【感情の程度と反応の認識】感情の程度にふさわしい行動を選ぶ
「己の中に湧き上がる熱い衝動」といった未整理の感情をベースに行動を開始すると、どこまでやったらやり過ぎなのか基準がわからない。
これに対して、今自分が怒りを感じている→何に対して怒っているのか→どの程度怒っているのか?という一連のプロセスを客体化することができれば、次のふさわしい行動が選択しやすい。
ただし、これはすべての怒りを抑えて笑顔でいる、という意味ではない。
人生において「冷静に考えてここは殴っておくべきポイントだ」というシーンがある。百回生まれ変わっても俺はお前をぶん殴る!と思うならば、それはもう殴るしかない(もちろん、捕まるかもしれないがそれは別問題だ)
問題は、殴る・怒鳴るといった苛烈な反応そのものではなく、感情によって我を忘れてしまうことである。
コントロールの第一歩:
まず感情を受け入れること
いずれにせよ、感情コントロールの第一歩は自分の感情の認識である。
だいたいにおいて感情とは複雑で混じり合ったものであり、人を「よくわからない」ままに振り回す暴れ馬である。このため、最終的にどう行動するのであれ、まず自分がどう思っているか?にきちんと向き合うことが重要であると考えられる。
この点、昨今「正しい」怒りや「正しい」感情というものが取りざたされるが、上述のようにそもそも感情が発生する段階では合理も非合理もない。
議論の当初に述べた通り、合理的なリスク認識はそれ自体役に立つスキルである。しかし、感情はそれとは別の問題である点は留意が必要であろう。
たとえば
「ジェットコースターは安全なのだから、恐怖を感じるのは不合理だ」
「ほとんどのサメは安全だから、サメ映画に恐怖を覚える必要はない」
というのは、リスクの側面からみると合理的であるように見えるかもしれない。しかし、もしあなたや他の誰かが実際に恐怖を感じているなら、それは単なる事実の否定・現実の歪曲である。合理的であるかを問わず、まずは感情自体を受け入れることが必要であろう。
感情の受容はトレーニングである
以上のように、感情を認識し、受け入れることは重要だと考えられる。
一方で、これは「当たり前」のことではない。むしろ放置するとすぐ感情に振り回されるのが自然である。
アンガーマネジメントだったり、マインドフルネスだったり、座禅だったり、名前は変われど多種多様な感情制御の技術が「わざわざある」のはそのためである。
その意味で、こういったスキルは技術であり、トレーニングでもある。
釈迦でさえ悟りを開くのにトレーニングが必要だったのだから、我々もまた日々積み重ねていくしかあるまい。
鍛えた筋肉が我々を裏切らないのだとすれば、鍛えた精神もまた我々を裏切らないであろう。パワー!
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