玉桂と花飾り
比較的小さい海水浴場ではあるが、水平線そのままのホリゾンブルー、波打ち際はとても透き通った綺麗な海。
波打ち際から10mほどのところに、直径10mほどの弁天島と言われる岩礁があり、その波間に浮かぶ岩礁に聳える松と鳥居がより一層、この海水浴場に日本らしさを醸し出している。
そこから徒歩30秒、和ではあるが大変雰囲気の良い一戸建てを買った。
海水浴場とはいえ、周りに商店街やコンビニもなく、静かな場所で、ちょうど自らが経営していた会社を売り払った私にとって、のんびりと余生を過ごすにはうってつけの場所だと思ったのだ。
そんなことを言うと、きっと70歳だとかに思われるかもしれないが、早熟の経営者であった私は今年50歳になる。自慢ではないが。(いや自慢したい気持ちもある。)
余生とあえて言うが、長生きの願望は特にない。
60歳くらいでぽっくり行きたいと思う。苦しんで死にたくはない。
子も持ったが伴侶とは馬が合わず、他にも仲の良い女性もいたが、結果ここに一人いる。まぁ今のところ寂しくはない。
家の裏手には如来寺という江戸時代に創建された寺の跡がある。明治後期に全焼して廃寺となったようだ。
今も寺の地下にあった洞窟が残っていて、閻魔王や十王など、さまざまな石像が並んでいる。
噴石丘をくり抜いて造られた洞窟なので赤く酸化した溶岩の中という、大変雰囲気のあるところだ。
奥の菩薩像、上から光がそそいでいる。
なんとも神々しい。
またその隣、これも家の裏手に面したところであるが、小さな鳥居があり、その鳥居をくぐると20段ほど階段の上、お天王さんといった須佐之男命(スサノオノミコト)を祀った場所がある。ほんの気持ち程度に数棟石燈篭が並んでいて、中央に小さな摂社がある。ここからは海も弁天島も見える、おそらく地元民しか知らぬ穴場スポットであろう。
引越してきてからは、お天王さんに毎朝拝むのが日課になった。
海水浴場の右手には、簡単な漁港があり、ダイビングや釣りなどが楽しめる。
朝の散歩がてら歩いていると“おー、大和くん。おはよう。いいブリがあがっているから食べるかい?”と、漁師のおじさん(私より若いだろうがあえておじさんと呼ぼう)から声をかけられる。
そんなのんびりとした時間の中で、今私は生きている。
新盆の真鶴貴船祭り。
須佐之男命の6世の孫(昆孫)である大国主大神(オオクニヌシノミコト)を祀る貴船神社の例大祭だ。
花飾りや吹き流しで飾られた小早船が海上を神迎えに行く。
大変華やかである。
船上の飾りは、なんというか、大変豪華な雛祭りのような。
祭囃子もあって、眺めているだけでも楽しくなる。
またも漁師のおじさんから“大和くん、来年は船乗りなね!”と声をかけられ、これ記念にと花飾りの束を渡された。その場の雰囲気を大変に楽しんだ。
さてと祭りのあと。
一人で海岸を歩いている。
鉄紺の夜、海岸に一人の長く綺麗な黒髪を一つに束ねた女性が佇んでいた。
裸足ではなかったので、入水自殺なんてものは想像外であった。
大国主大神は男性神だったはずだ。果たして小早船は間違えて女性神でも乗せてしまったか。などと他愛のないことを思っていた。
じっと見つめすぎてしまったらしい。
目が合った。
そんなつもりもなかったが、“お祭りは楽しみましたか?”と、申し訳なさげに声をかけざるを得なかった。
静寂がなんだか恥ずかしくて、“一人旅ですか?”と矢継ぎ早に問うてしまった。
すると彼女は少し考えた後、“傷心旅行です”と、はにかんだ可愛らしい笑みで答えた。
名は「あすみ」という。
年齢は聞いてはいないが、40歳くらいに見える。
子供も早くも成人しており、いわゆる熟年離婚(年齢はそこまで熟年ではなさそうだが)が成立したのだそうだ。
海か、はたまた世界がなのか、あいまいに揺蕩う情景に溶け込みそうな彼女。
弁天島の真上の満月。
静かでなんともこんな夜が好きだ。
岩の海岸を眺めながら、お互いの話をした。
彼女は横浜に住んでいて、一人で日帰り旅行に来ていた。
終電もあるので、そろそろ帰ろうとしていたところ、昼の賑わいの海岸とは打って変わって、今にもかぐや姫が月から降りてきそうな夜に見とれていたらしい。
一夜十起
いや、下心はない。なかったはずだ。
夜目遠目
いや、くっきりと美しい。満月もはっきり見える。
月下老人
いや、まだ会ったばかりだ。でも、縁は縁だ。
“うちに泊まっていきますか?”と、自然と言葉が出てしまった。
彼女は少し考えた素振りを見せてから、“では、お言葉に甘えて”と。
あぁ、上等な酒でも買っておけば良かった。
ただ、漁港でもらった美味しいブリの刺身がある。これを振る舞おう。
味噌汁も作れるな。
一人でのんびりとしていたものだから、洒落た食器も上質のベッドもない。
風呂も足をのばせるような広いものではない。
花飾りをもらっていたな。ところどころに飾ろう。記念に少し彼女に渡そう。
すべてができるだけ綺麗に見えるように、こっそりといそいそと掃除して見栄を張ってみた。
縁側でブリを肴に、満月を酒のあてに、波の音をBGMに。
今夜は静かで華やぐ夜だ。
気を許すと酒を飲み過ぎてしまうだろう。
いやもう酔っていたか、彼女のことを“あすみ”と呼び捨てで呼んでいた。
私の毎日のルーティンの話をした。近所の地理についても話をした。
歴史なんかも知っている博識な自分を披露した。
彼女はしきりに、“こんな素敵な場所でゆっくりと過ごしているなんて羨ましい”だとか、“毎晩こんな美味しいものが食べれるなんて贅沢だ”などと、私を良い気にさせた。
“なんだったら、あすみもここに来てしまえばいいのに”
まただ。
また、何も考えずに言葉が出てしまった。
彼女は何も答えずに、可愛い笑顔のまま酒を口に含んだ。
もう若くない二人は、そのままそれぞれの部屋で就寝した。
酒のせいだ。起床、昼前になってしまった。
あすみはいなくなっていた。
誰に見られているわけでもないけれど、平静を装った。
家中を探してしまった。浜辺にも探しに行った。
どこにもいなかった。
新盆の幻か、やはり間違えて船に乗り込んでしまった女神様だったのかもと、少し苦笑しながらも寂しい気持ちになった。
家の裏手の階段を上がり、お天王さんに拝む。
いつもと違い、またあの女神さまを御遣いくださいと、図々しくもお願いした。
弁天島の鳥居に波が打ち付けている。
あの鳥居の向こうからまた来てくれないか。
漁港では朝の漁の片付けが終わっていた。
今朝は鯵がたくさん取れたようだ。
市場で5尾ほど少し多めに買う。今晩は刺身となめろうだ。
酒屋まで遠出をして、普段買わない上等な日本酒を一升買った。
一人で酒と鯵を嗜んだ。
満月は少し欠けてしまった。
ゆっくりとした時間は心地よいが、何か足りない気がする。
八月に入って暑さも増している。
翌日、あまり普段は行かないが、涼しさを求めて、裏手の寺跡の洞窟に行ってみる。
そんなに涼しくはなかった。
貴船祭りの花飾りが一輪ずつそれぞれの石像の前に供えられていた。
ここに人が来るなんてことはこれまで見たこともない。
なんとなく、最奥の菩薩像が喜んでいるようにも見えた。
数日経った頃、日課の通り裏手のお天王さんに拝んでいると、背後から“大和さん”と声をかけられた。
少し若く見える花柄のワンピースを着たあすみだった。
絢爛な小早船の花飾りを纏ってきたのか。
やっぱりあの日、小早船に乗ってきたのだと思った。
一度横浜の実家に帰っていたらしい。
手には大きな荷物が抱えられている。
昼想夜夢
いや、今は夜ではない。夢ではない。
依依恋恋
いや、想ってはいるが若かりし頃の情熱的なものではない。
兼愛無私
いや、あすみだけに向けた気持ちだ。
平静を装って、“おぉ、久しぶりだね”と爽やかに挨拶を交わす。
“先日は何も言わずに帰ってしまってごめんなさい”と言う彼女。私はそんな謝罪など全く気にならなかった。そんなことより、また会えたことをお天王さんに感謝だ。
心から大丈夫だよ、気にしてないよと言って見せて、一緒に自宅へと入った。
まだ一緒に過ごしたのはあの夜だけだ。
でも、あすみは戻ってきた。
ここでの生活に憧れたらしい。
私の誘いを受けてくれたのだ。
多少の貯金しかないようだし、細々とでもアルバイトでもしながら暮らしていきたいようだ。
私自身は余分にあるものだから、特段気にしていなかったけれど、お互いの自由は尊重したい。
彼女の気の赴くままにゆっくりと時間を共有していければいい。
結婚や恋愛みたいな話は一切していない。
駅までバスで行って、カフェでモーニングを頼んだ。
“大和さんはコーヒー派なのね”
“あすみは紅茶派なんだね”
“大和さんは砂糖は入れないのね”
“あすみは砂糖を入れるんだね”
“パン派?米派?せーので言おう”
それぞれ同時に答えて、笑いあった。
“これからよろしくお願いします”
突然あすみに言われて、改めて言われただけなのに、なぜだか嬉しかった。
家で遅めの昼食をとった後、時間があったので、二人で漁港に買い出しに行く。
いろいろな魚が入っていたけれど、ひと際大きいカサゴが入っていた。
あすみもこれにピンと来たのか、二人で顔を見合わせ、声も合わせて“煮つけだね!”と献立が決定した。
“上等な日本酒があるから一緒にね”
年齢の割に感情表現が豊かなのか、喜ぶあすみの歩調は夏休みのこどものようだ。
浜辺にはたくさんの家族連れの姿がある。
天道と笑顔の海だ。
道端で売られていたアイスクリームを買う。浜辺に降りる階段に腰かけて、二人でのんびりと海岸を眺めていた。
月は弦月、今宵の女神は多弁だ。
縁側なのでここからは見えないが、夜の月に照らされた海面のように、彼女の話はきらきらしていた。
好きな魚、好きな食べ方。得意な料理、苦手な物。
春夏秋冬、それぞれの好みの過ごし方。
日々の小さな発見や季の移り変わりの情緒、風情を感じた生活への憧れ。
雨も好き。晴れも好き。
夜も好き。昼も好き。
ふと、今度また貴船祭りの花飾りをたくさん飾ろうと思った。きっとあすみも好きなはずだ。
あすみが来てから、ルーティンが増えた。
お天王さんへ拝みに行った後、朝の浜辺へ散歩に行く。
夕餉の後に、夜の浜辺へ散歩に行く。
朝の元気なあすみも、月明かりの霊妙なあすみも、どちらも魅力的だ。
男女の関係でなくとも、けれど友人以上に大切だと感じる関係で。
ゆっくりとした時間をゆっくりと一緒に楽しむ関係で。
特段活発な女性ではなかったので、一人で暮らしていた頃とさほど変わらないペースで生きている。
きっとこのまま、ずっとこのまま。
凪の朝。弁天島の周りは湖のように綺麗に揺らぐ。
海面は足首くらいの浅さで、どこまでも歩いて行けそうだ。
あすみが素足でちゃぷちゃぷと弁天島の周りを散策し始めた。
鳥居や松の木を下から見上げている。
今を楽しんで生きているのが伝わってくる。
幸せだ。
ふと浜辺から眺めていたら、あすみの足元にナマコが2匹。
ちょっと調子に乗っていたのだろう。
好きな女の子に、あえて意地悪をしてしまう小学生のように。
“あすみ、足元に綺麗な貝殻があるから取ってみてくれないか”
あすみは嬉しそうに足元を見て、そして瞬き驚き、“ひゃっ!”っと可愛らしい声をあげた。
そんな様子を楽しんでしまった私を睨みつけ、怒って岩陰に隠れた。
それから一向に弁天島の陰から出てこない。
さて、どうする。
岩陰に隠れてしまった天照大御神様をどのように引っ張り出そうか。