14歳
盛り場の外れにある公園の横に車を止めた。土曜の26時。公園の地下には駐車場があり、仕事を終えた夜の蝶たちがときおり、遣れた香りの尾を曳きながら地下へ消えていく。
02:01
冷たい空気の中からヒールの音が聞こえてきた。
ピンヒールに慣れていないような、濁ったリズムの悪い足音だ。
違う。
横目に足音の主を流すと、新人のようで着こなしもパッとしないし、おぼつかない足音と同様に姿勢も悪い。新人の泣き言を受け止めてくれる相手はいるのだろうか。
そんなことを考えていると、後部座席のドアノブを引く音に我に返る。
彼女が乗り込んできた。
「さむい!」
「おつかれさま」
「ちょっと待って。少ししてから」
川端康成の「雪国」は、中年の島村という男と駒子という芸者との、どこにも行けない閉ざされた冬の中の幻夢のような物語だ。春が来れば雪が解けて消えてしまうような儚い世界。美しくも冷たい自然と、ひんやりとした人肌の触れ合いのような美しい情景描写は、初めて読んだ14歳の少年には分かるはずもなかった。
それが今となっては、惚れ惚れするような文章の美しさと描写の巧みさ、まどろみの中の夢のような逃避愛がまた大きな魅力に感じられる。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」
あまりにも有名で完璧な書き出しは、読み進めると、妻子のいる東京から温泉芸者の駒子の待つ冬の温泉街を訪ねるという、甘美な非現実の世界に到着していたということを表現しているのがわかる。
「夜の底が白くなった」という美しいメタファーや、汽車の車窓に心情を緻密に反映させる表現法。
そして葉子というもう一人の女。
差し違えるような恋愛をした彼女は売れっ子ホステスだった。
ある夏の夜に酷く酔っぱらって転がりこんだ店に彼女はいた。黄色いドレスを着て真っすぐ僕の前に立ち握手を求めてきた。それが始まりだった。
14歳の僕が「雪国」を読んで芸者との恋が理解できなかったように、まさかホステスと付き合うようになるとは思っていなかった。
恋愛ゲームを仕事とするホステスは、嫉妬を餌にする獏のようなものだ。
でも彼女は獏になり切れなかった。一生分の嘘もつかなくてはならない。ストーカーが待ち伏せし、おまけに僕までマークされた。売り上げノルマもきつく、彼女はどんどん疲弊していった。
彼女を迎えに行ったあと食事するにも、同業者や顧客に見つかる可能性が高く、車の中でボソボソとお弁当を食べたり、真っ暗な窓の外を眺め続けたりした。
まだ若かった僕には荷が重たかったけど、島村が感じた車窓に写った葉子の美しさを、少しは理解できるようになっていたのかもしれない。
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