古川ロッパの暗号 70年の時を超えて
研修講師・フリーアナの高木圭二郎と申します。
私は元茨城放送アナウンサー兼ディレクター・報道記者。
ラジオ局の茨城放送在籍時の2015年、私は終戦70年特番を制作しました。
番組タイトルは
「茨城放送 終戦70年特別番組
721(ナナフタヒト)語りつぐ特攻兵器『桜花』」
私はディレクターとしてこの作品を制作しました。
詳細はこちら
終戦70年特番「特攻兵器桜花」の話
https://note.com/talkrescue/n/n0d79d48fa751
今回はこの番組の文献と証言に関する話です。
証言と楽曲 古川ロッパの来訪
私が手掛けた番組は音声のみのラジオドキュメント。番組のメリハリをつける意味からも、戦時下の関連音楽がどうしても必要でした。
2015年の取材時、インタビューに応じて下さったのは第721海軍航空隊 神雷部隊の元搭乗員・浅野昭典さん。
浅野さんは戦時下の訓練の様子を説明してくださるとともに、基地内での様子についても詳しく話されました。インタビューで浅野さんは次のように話していました。
【浅野昭典さん インタビュー音声】
古川緑波はね… 確か来てたと思った。
基地の体育館みたいなところがあって。
私たちを慰めっていうか…
気持ちを落ち着かせてくれるために来たのかな、
と思った…。それも… そこまで考えたことなかったな…。
最初の解説です。
「桜花」は人間爆弾と呼ばれた特攻兵器。
搭乗員ごと敵艦船へ向かう特攻兵器でした。
特攻兵器「桜花」の部隊である第721海軍航空隊の部隊は、戦争が激化する1945年、鹿児島などから特攻に向かう部隊と、基地内(=茨城県鹿嶋市・神栖市 神ノ池付近)で訓練を行う錬成部隊に分かれていました。
訓練の先にあるのは、特攻。
茨城県鹿嶋市・神栖市の特攻兵器「桜花」の基地(=神ノ池基地)には、戦地に向かう隊員や搭乗員らを励まそうと、当時、多くの芸能人らの訪問があったのです。
その中の一人が、当時の大スター古川緑波(ふるかわ ろっぱ)さん。お名前の「ロッパ」のカタカナ表記は、戦時中「緑波」の漢字表記となります。
古川緑波(ふるかわろっぱ)さんは、今で言えばサザンの桑田佳祐さんのような大スター。圧倒的存在感で多数の楽曲を世に送り出していました。
そのロッパさんは、実は食通でメモ魔。食べた食材や日々の出来事を、事細かな日記に残していたのです。そしてこの日記は書籍化されています。
これは戦前・戦中・戦後の貴重な資料。戦時下の食糧難の際、ロッパさんは「ゆで卵しか食べられない」などと率直な言葉を残しています。
データジャーナリズム
ディレクターの私は、特攻兵器「桜花」の史実と戦時下の情報を脚本化するため、無数の文献を調べました。
近隣の図書館だけでなく、茨城県内の戦争遺構や関連施設の図書コーナー、都内の防衛省戦史研究センターまであらゆる書庫を見て回り、必要な書籍はネット注文で取り寄せて調べる、という作業も重ねました。
このラジオドキュメントでは、史実に忠実に、との姿勢を重視。誤報や脚色された情報では、報道ドキュメントとは言えないと思い、私は可能な限り、文献をリサーチしていたのです。
元桜花隊員の浅野昭典さんは「古川緑波が来た」との証言。
そして古川緑波さんは、緻密な日記を残している。
私は即座にこう考えました。
「古川緑波が、桜花の基地(=神ノ池基地)に来た日付を調べよう。」
「浅野昭典さんが桜花の部隊に所属した時期も分かっている」
「古川ロッパ昭和日記を読むしかない!」
こうして、元桜花隊・浅野昭典さんの証言と、古川ロッパ昭和日記の照合作業が始まります。これは資料類から史実をあぶりだす「データジャーナリズム」と呼ばれる手法でした。
このデータジャーナリズムの手法は、この先、戦争を体験した世代が不在となることから、戦争取材においてより重視される手法。
茨城ローカルの小さなラジオ局に所属する私の、他局に負けないほどのチャレンジが始まりました。
茨城大学閉架図書館
私が向かった先は茨城大学(茨城県水戸市)の閉架(へいか)図書館。学生らでにぎわう開架(かいか)図書館でない、奥の静かな閉架(へいか)図書の部分です。
なぜ茨城大学閉架(へいか)図書館か?
答えは単純で、そこにしか「古川ロッパ昭和日記」が置いてなかったから。また私が使える予算には限りがあり、書籍購入前に図書館等をフル活用する必要があったことも影響しました。
学生でにぎわう茨城大学図書館。私はカウンターで手続きをして、閉架(へいか)図書にある「古川ロッパ昭和日記」を受け取ります。
重要参考資料の「古川ロッパ昭和日記 戦中篇 昭和16年‐昭和20年/古川 ロッパ (著)」は、辞書ほどの分厚さ。905ページもある大作です。物資不足の戦時下でもロッパさんは、毎日毎日、日記を書き続けていました。
速読術・スキャニング
図書館内のテーブルで、「古川ロッパ昭和日記 戦中篇」を広げ、私は得意の速読を開始しました。
実は私の特技の一つが「速読」。速読の中でも「スキャニング」という手法を活用し、見開き2ページを2秒の速度で読むことを特技としていました。
私が行う「スキャニング」の速読術ではページをめくる前に「検索ワード」をイメージします。大量の情報から、その検索ワードを拾うように読み込むのが、私の速読術。この「スキャニング」の速読術があったからこそ、ラジオドキュメント制作と脚本執筆が進んだと言っても過言ではありません。
まず私は、分厚い「古川ロッパ昭和日記 戦中篇」の1945年(昭和20年)3月~5月頃のページを丁寧にめくります。元桜花隊員の浅野昭典さんが茨城県鹿嶋市・神栖市の基地に所属していたのは、この時期と重なるからです。
ページをめくるごとに2秒…、まためくって2秒… そう心の中で唱えながら、古川ロッパさんの分厚い日記を速読で読み込みます。
この時の検索ワードは「茨城」「鹿島」「神ノ池」といった地名や基地名。
さらには「特攻」「桜花」「神雷部隊」という特攻兵器「桜花」の部隊に関する言葉も、心の中の検索ワードとしてイメージ。その上で、1ページ1秒、のペースでページをめくります。
速読では、原則として文章を熟読しません。また速読中に理解不能な部分が出たら「先へ進め」の合図とされています。
速読ではまた、1ページ1秒のペースで黙読することで脳が活性化し、一字一句の音読や言語化の作業を飛ばして、脳が情報の高速処理を進める、とも言われています。
私は速読関連の書籍も何冊も読み、自分なりの速読術を体得していました。ちなみに私の速読術では、文章が連綿とつながる小説は読み込めません。私の速読術は、ビジネス書や新聞、各種資料の読み込みで威力を発揮する手法なのです。
茨城大学図書館内で、ページをペラペラとめくります。他の人より何倍ものスピードでページをめくる様子は、他者から奇異な様子ととらえられたと思います。しかしこのリサーチ作業に充てられる時間はそう長くありません。
私も必死でした。
速読と検索ワード
丁寧かつスピーディに速読。その時の心の中の検索ワードは「茨城」「鹿島」「神ノ池」「特攻」「桜花」「神雷部隊」。
「古川ロッパ昭和日記 戦中篇」の1945年(昭和20年)3月~5月頃のページをめくり、必要な単語を探しますが、なかなか見出すことが出来ません。
「おかしい…」
私は不思議に思っていました。
確かに元桜花隊搭乗員の浅野昭典さんは「基地に古川緑波が来た」と証言。この言葉を話されたときに、浅野さんが嘘をつく必要性は全くありません。よって証言の信憑性(しんぴょうせい)は非常に高いはずです。
なのに「古川ロッパ昭和日記戦中篇」の1945年(昭和20年)3月~5月頃のページで「茨城」「神雷」等の記載が見当たらないのです。
「見落としがあるかもしれない…」
905ページもある辞書のような「古川ロッパ昭和日記戦中篇」を、私は再度時間をかけて熟読しました。
大事と感じた部分は、読む速度をスローダウン。
速読しながらも、丁寧に読む、という相反する作業を続けました。
古川ロッパの「暗号」
人の出入りの少ない時間帯の茨城大学図書館。私はそのテーブル上で何度も「古川ロッパ昭和日記 戦中篇」のページをめくりました。
そして約8~10回目の速読で、ようやく「暗号」を見出したのです。
古川ロッパさんの暗号については、書籍の原文を引用する形で紹介します。太字と(※)は、筆者が見出した重要語句の部分です。
【古川ロッパ昭和日記 戦中篇 昭和16年‐昭和20年/古川 ロッパ (著)】
昭和二十年四月の記載より P812
四月十八日(水曜)晴
佐原(※1)へ。午前四時半、眼が覚める。まだ早い。五時、茶の間へ。…東中野へ六時すぎに歩く。…両国駅へ歩くと、国民服の相撲がゐる、近寄ってみたら、名寄岩だった。…彼も勤労奉仕で、疎開家屋の片付けにいくんだと、小岩迄同車。…千葉で汽車にのりかへる。三人がけでギュー詰め。
一行は、堀井・神田・大庭・暁・浪江・森川・西川・田川に橋本・上山・前川、小道具・衣装各一人、楽士は、四人の筈が二人しか来ない、コンダクターの岩尾は来たが、何うにもならん。…
佐原着(※1)十一時半。「龍巻」(※2)と貼紙した車のバス、軍鶏篭の送りみたいに、縄を車全体にグルグル縛ってある。このバスに揺られること、一時間余。
やがて「あすこです」といふ方を見ると、海岸の砂丘の上の基地で、下りると、ビュービュー風吹きつけ、砂塵が飛ぶ、まるで映画で見る沙漠である。司令長官に挨拶し、食堂で昼食。ベーコンの辛いのを刻んだのと、蛤のフライ。いい加減に食って、会場へ。
広い会場に、国防色の軍服がギッチリ。二時すぎから始める。一部の終わりに映画漫談を二三十分。若い軍人(※4)ばかりなので実によく笑う。楽屋ではサイダーや紅茶がジャンジャン出る。
田淵大尉といふのが、酒保(※5)の倉庫へ案内して呉れる。ギルビイのジンその他舶来もの多し。サントリ十二年ありトミー特選あり、とても素晴しい。いくらでも上げるよと言ふが、果して土産に何の位呉れるのか心配する。
第二部は「歌ふロッパ」、音楽が何しろ二人なので、実に歌ひにくかった。終って、埃だらけの食堂へ。ビールを飲み、司令から挨拶あり。バスが着て、一同佐原へ向ふ。途中、鹿島神社(※5)へ参拝、薄暮時、桜花美し。(※6)
解説に際し、まずは次の注釈をご一読下さい。
【注釈=筆者記載】
(※1)佐原=現在の千葉県佐原市・JR佐原駅付近
(※2)龍巻⇒古川ロッパの「第一の暗号」とも言える部分。詳細後述。
(※3)若い軍人=この中に浅野昭典さんもいた可能性が高い。
(※4)酒保(しゅほ)=基地内の売店・飲食物の倉庫。
(※5)鹿島神宮=現在の茨城県鹿嶋市宮中にある神社。
(※6)桜花美し=古川ロッパの重要な暗号。詳細後述。
更に解説しましょう。
この日記の記載から、古川緑波一座は、1945年4月18日に千葉県佐原市の佐原駅を経由して、車で茨城県鹿嶋市・神栖市の特攻兵器桜花の部隊の基地
(=神ノ池基地)に訪問し演奏したことが確認できます。
(※1)佐原、佐原着
千葉県佐原市は、現在の茨城県鹿嶋市・神栖市に近い場所。
現在のJR成田線佐原駅に、古川緑波一座が汽車で来たことがわかります。
(※2)龍巻
「龍巻」は「龍巻部隊」の意味。「龍巻部隊」は特攻兵器「桜花」の搭乗員の錬成部隊=第七二二海軍航空隊の呼称。
日記内の「龍巻と貼紙した車のバス…」の記載は、佐原駅から茨城県鹿嶋市・神栖市の特攻兵器「桜花」の基地に向かうバスに、古川緑波一座が乗車したことを意味します。
(※3)若い軍人
「若い軍人ばかりなので実によく笑う。」との記載=。桜花の部隊のベテランが、戦争の激化とともに戦地に出向いたことが背景にあります。「若い軍人」=若年兵が「桜花」の基地で特攻に備えていたとの事情が見え、その中に浅野昭典さんがいたことがうかがえます。
(※4)酒保
「酒保」=基地内売店・飲食物倉庫。古川緑波一座が出向いた神ノ池基地には、特攻に備えた隊員を労うべく、物資の乏しい戦時中でも多数の飲食物が寄せられていたことが多数証言されています。
(※5)鹿島神宮=現在の茨城県鹿嶋市宮中にある神社。
「桜花」の基地の「神ノ池基地」は鹿島神宮から近い距離にあります。
(※6)桜花美し
「薄暮時、桜花美し。」の記載は、文字通り読めば「薄暗くなった夕暮れ時の桜の花が美しい」となります。しかし、これこそが古川ロッパさんの暗号とも言える部分です。
時を超えた「暗号」
あらためて解説します。
・東京を拠点に活動する古川緑波一座は、1945年4月18日、千葉県佐原市の佐原駅まで汽車で移動。
・古川緑波一座は、特攻兵器「桜花」と錬成部隊の基地=茨城県鹿嶋市・神栖市方面へバス移動。
・送迎用バスは、特攻兵器桜花の錬成部隊の第722海軍航空隊の車両。
・この第722海軍航空隊の部隊の通称が「龍巻部隊」(たつまきぶたい)。
・バスは「龍巻」の張り紙は、桜花の部隊の特別車両の意味。
・「桜花」は戦時下の重要機密事項。
・古川ロッパさんは、重要機密の漏洩が無いよう、部隊名も場所も特定できぬように「桜花美し」とだけ日記に書いた…
このようなことが推察されたのです!
私は全身が震えました。
「2015年の証言と、70年前の日記が、つながった…」
1945年4月18日、古川緑波さんは日記の通り、確かに茨城県鹿嶋市・神栖市の神ノ池基地に出向いたのです。
その地で特攻兵器桜花の部隊を激励する慰問演奏と歌唱を行い、確かに若き搭乗員の浅野昭典さんらと出会っていたのです!
その史実が日記と、取材音声で重なりました。
「これは70年の時を超えたメッセージだ!」
私は、再度、このページを黙読しました。
今度は速読でなく、スローペースの熟読。
そして一つの文章に目が行きました。
若い軍人ばかりなので実によく笑う。
「そうか… 浅野さんら若い搭乗員は、特攻の現場に居ながらも、古川緑波さんの楽しい音楽で、屈託なく笑っていらっしゃったんだ…」
静かな静かな茨城大学の閉架図書館。
私は涙があふれました。
決意
古川ロッパさんの「暗号」を、一字一句ラジオドキュメントの脚本に落とし込むことは、放送時間の制約から難しいと判断しました。概要の説明だけで10分以上の時間を要するためです。
しかし戦時下の事情を伝えるこのエピソードを知っているのと、知らないのとは大きな差があります。
番組制作への熱量。
それが私なりの答でした。
私は、心の奥から湧き上がる強い気持ちを抑えられませんでした。
「番組を絶対に仕上げたい」
「仕上げなくてはならない!」
「これは歴史をつなぐ仕事だ!」
そんな思いを抱いて、脚本・演出の業務に取り掛かったのです。
史実に基づく番組化
数々の証言と文献をもとに、番組の脚本化が進みました。
古川ロッパさんの来訪については、このような脚本にまとめました。
[ 女性ナレーター ]
過酷な訓練の中、桜花隊員たちには日々の生活もあった。
神之池基地には、酒保(しゅほ)と呼ばれる売店もあり、
食事は困らなかったという。
特攻隊員を激励する訪問客も多かった。
喜劇界の大御所と言われた人物も茨城県鹿島の神之池基地を訪れていた。
♪ 江戸っ子部隊 /古川緑波
(参考文献:「古川ロッパ昭和日記戦中篇」 p767.812 )
[ 女性ナレーター ]
古川緑波(ふるかわ ろっぱ)の一座だ。
桜花隊員 浅野昭典も この一座の訪問を見た。
[ 声 浅野昭典さん(20秒)/古川緑波 訪問 ]
古川緑波はね… 確か来てたと思った。
基地の体育館みたいなところがあって。
私たちを慰めっていうか…
気持ちを落ち着かせてくれるために来たのかな、
と思った…。それも… そこまで考えたことなかったな…。
(「茨城放送 終戦70年 特別番組
721(ナナフタヒト)語りつぐ特攻兵器『桜花』」脚本より引用。)
番組では紹介しきれなかった古川ロッパさんの暗号。
それはほんの小さな活字情報でした。
70年の時を超えたメッセージ。
私はこの「暗号」の解読機会をいただけたことに深く感謝した次第です。
以上、皆様のご参考になれば幸いです。
著者:高木圭二郎
記載:2020年8月15日/更新:2024年8月14日
古川ロッパさんの楽曲
古川ロッパさんが戦時下の慰問で歌っていた楽曲の一つが「江戸っ子部隊」という曲。この曲は「721(ナナフタヒト)語りつぐ特攻兵器桜花」でも使用しました。
Youtubeでアップされているようですね。
「江戸っ子部隊 古川緑波」 の検索で見つかります
放送ライブラリーで視聴可
このラジオドキュメントの情報は民放連のページでも掲載されています。
日本民間放送連盟 第12回日本放送文化大賞情報
「茨城放送 終戦70年 特別番組
721(ナナフタヒト)語りつぐ特攻兵器『桜花』」
https://www.j-ba.or.jp/category/awards/jba102014
この作品は著作権の事情もあり、ネット上では視聴できません。
現在は横浜市の放送ライブラリーでのみ視聴できます。
放送ライブラリー https://www.bpcj.or.jp/
■執筆者プロフィール
高木 圭二郎 (たかぎ けいじろう)
研修講師・フリーアナウンサー・トークレスキューNEXT代表
(元 茨城放送アナウンサー兼 ディレクター・報道記者)
法政大学社会学部1995年卒。テレビ業界を経てラジオ局の茨城放送で18年半活動。高校野球実況10年以上担当。災害報道・記者会見の現場も多数経験。
ラジオドキュメントの脚本・演出で文化庁芸術祭賞・日本民間放送連盟賞受賞。日本放送文化大賞ノミネート。
2016年の独立後、研修講師、フリーアナ活動、スピーチ講座運営を兼務。
水戸・龍ヶ崎・取手等で活動中。
研修専門分野:
マスコミ対応・危機管理・ビジネスコミュニケーション・広報PRなど
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事業公式ページ トークレスキューNEXT
http://www.talkrescue.jp/
高木圭二郎 プロフィール詳細
https://talkrescue.jp/instructor/profile
■補足説明
講師の高木はすでに茨城放送を離れ、現在は講師活動・フリーアナ活動をしています。桜花レプリカ写真は取材時の特別許可のもと撮影しました。関係者の皆様のご協力に心より御礼申し上げます。
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