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【ショートショート】取り壊し予定の星座

あるところに取り壊しを待つ星座があった。

これはニュースでも大きく扱われていたことだった。その星座は、宇宙インフラの拡充にあたって「座標管理の混乱を招くから」とか、「新航路との干渉を避けるため」とか、そういった理由で取り壊されることになった。細かな技術的背景については、わたしにはよくわからない。ニュースを見ていて、お役所仕事じみた理由があるのだろうとなんとなく感じとったが、その程度のものだ。昔から親しんでいたあの星座が"邪魔"になるとは、どんな原理なのだろうか。けれどこの世界では、宇宙開発は最重要項目に位置づけられていて、夜空の風景までもが行政の手で書き換えられるものであることは確かだった。


このニュースを目にしてからというもの、わたしは夜の時間を見計らってベランダに出るようになった。見えなくなる前に、できるだけその姿を目に焼き付けておきたかったのだ。

わたしは幼い頃から、その星座を見上げるのが好きだった。名前を口にすると妙に人を限定してしまう気がして、誰かと会話するときも具体的な呼称を使わずに「あそこにある、あの星の並び」とだけ指し示した。こうして指さすと、誰もが「ああ、あれね」とうなずく。そんな星座がいつの間にか、取り壊し予定の星座としてお役所のリストに載ってしまったのだから驚きだ。

ある夜のことだった。わたしがいつものように夜空を見上げながら、その星座との別れを惜しんでいると、夜空のその部分だけがやけに騒がしく見えるようになった。声を上げることのない遠くの星々が、まるで何かを言っているように感じるのだ。瞬きが不規則になり、不自然なリズムを刻み始める。夢か現かわからないあやふやな意識の中で、わたしはそれらを呼び声と名づけた。星座の一部を成す星たちは、はるか向こうからわたしに何かを訴えている。いったい何を伝えたいのだろうか。わたしの胸の奥で微かな圧迫感が増していくのだった。


取り壊しに向けた準備は、地上でも刻一刻と進行していた。技術者たちは大気圏外に新たな設備を組み上げ、強大な光学操作で“余計な星”を消去する算段らしい。専門家たちは「ただの遠くの星がなくなるだけだから、私たちの生活に何か影響があるわけではない」と言った。確かに星は遠く、わたしたちはその光を見ているだけにすぎないのかもしれないけれど、あの瞬きに意思らしきものを感じるいまのわたしにとって、その説明はひどく味気なく、どこか誤魔化しのように思えた。

取り壊し当日が近づくにつれ、メディアはその星座を次第に扱わなくなった。人々の興味はすでに別の話題へ移ってしまったようだ。なにしろ、世界中で重大な計画や発明が毎日のように発表される時代だ。“星の撤去”など、珍しいニュースではあるが、視聴者の興味を長く引っ張れる話題でもないらしい。わたしは取り残されたような孤独を感じながら、夜毎に空を見上げ続けた。するとその数日後、不意に体の力が抜けるような感覚に襲われ、そのまま眠るように意識を手放してしまった。深夜のベランダでうとうとしていたのかもしれない。

気がつくと、わたしはどこか別の場所に立っていた。暗闇だけれど、夜空とは少し違う。空間が静止しているのに、やたらと奥行きがあるように感じる。そんな場所で、わたしの周囲をいくつもの星々が取り囲んでいる。それらは奇妙な曲線を描きながら、まるで生物のような動きを続けていた。わたしは手を伸ばして掴もうとしたが体が上手く動かない。自分の指先が存在しているのかどうかさえ判然としない。

私が戸惑っていると、ふいに複数の微かな声が響いた。

「わたしたちは取り壊されるのを、じっと待っている状態なのです。」

声は頭に直接流れ込んで来たかのようだった。

「しかし、取り壊されることは、わたしたちにとって終わりではありません。わたしたちは新しい住処へと形を変えて移動するのです。」

そんな風に言っているのだと、わたしは連続するイメージの断片から解釈した。それらの声はわたしに希望を説いているようであった。

座標を奪われた星座はいずれ人の記憶から消えていく。だが、人々が忘れても、星々のストーリーは続いていくのかもしれない。――夢のような対話を交わした後、意識がふたたびぐらぐらと揺れた。気がつくと、わたしはベランダの椅子に座っていた。体はとうに冷え切っている。夜明け前の空気は肌寒かった。


そうして取り壊し当日となった。わたしは夜になるのを待って、ニュース映像と夜空の両方を交互に見つめた。大気圏外に展開された何本ものレーザーが、該当星座へ向けて照射される。その瞬間、夜空は大規模なスクリーンのように美しく輝き、やがて光はフェードアウトしていくと説明があった。そして、アナウンサーはきわめて穏やかな口調で、「この照射をもって、従来の星図は正式に更新される」と述べた。

モニターには、照射までのカウントダウンの数字が淡々と映し出されていた。テレビ画面では、技術者たちが大型コンソールを操作している。そして、ゼロを告げた瞬間、夜空の一点に閃光が走った。はるか向こうにあるはずの星たちが、まばゆい光に塗りつぶされるかのように見えた。周囲の空間が歪むような錯覚も見える。そして人々が作り出した光の照射によって、一瞬にして夜空に在ったはずの輝きは失われた。

わたしが再びニュースに目を移すと、人々が「成功です」という声を上げて喜んでいる様子が映し出されていた。


わたしはテレビのスイッチを切り、ただ夜空だけを見上げた。夜空を見上げていると、わたしにはいくつか残っている星たちの光も動揺しているように見えた。思い出の星座が失われ、そこには空白が広がっている。けれどもその空白と重なって、わたしには奇妙なちらつきが見えた。夜空の奥に隠れている微細なシグナルが絶え間なく切り替わっている。本当にこのシグナルは目に見えているものなのか自分でも定かではないものの、確かに何かがそこに存在しているように見える。

わたしは次第に、そのちらつきが別の位置へとゆっくり移動していることに気づいた。瞬きを忘れて凝視していると、遠くの夜空が静かに波打ち、一時的に形を持たない群れがさ迷っている。そうして輪郭を失った光の粒たちは、まるで避難先を求めるように、夜空のもっと遠い領域へ漂っていった。


翌朝、ニュースは「取り壊しは無事完了し、星座の消去が成功した」と伝えた。大半の人々にとっては過ぎたことで、その報道を耳にしても深く考える者は少ない。

あの星座が消えてからも、わたしは夜空を見上げるときには必ずそれを探す。あの星座のもう存在しないとされる領域を、目に見えない光を頼りに見つめる。

夜空では暗黒のキャンバスを背景に、いくつもの小さな光が連なりあって、仄かな帯のように揺れている。それはあの星座が消える前も消えた後も変わらない。けれども、星々と会話したわたしには、星座そのものが呼吸しているかのように見えるようになった。星座はきっと生きている。わたしは取り壊されたはずのあの星座が、別の姿でまだ夜空をさすらっているとよいなと思った。

もしもあの不思議で夢のような出来事が真実なら、それらはこの世界にまだ繋がっている。まばゆい光とともに消される運命に見えても、それは別の空間に拡散し、新たな形として生き続けている。


ある晩、夜空を見上げていると、全く別の星座の中に、あの星座の面影を見た。ほんの一瞬だったので、錯覚と言われればそれまでかもしれない。だが、たしかにあの懐かしい姿が浮かび、それをわたしは見たのだ。世界から消されたあの星座の特徴的な稜線がそっくりなぞられたように見えたのだ。わたしは見失うまいと急いで凝視したが、次の瞬間にはその光の帯はすっと形を変え、またもどこかへ流れていった。

わたしは残念に思いながらも、誰にも聞こえない声で「そこにいたんだね」とつぶやいた。

消えたはずの星座は今、わずかな形を変えて漂い続けている。――そんな秘密を共有しているのは、この世界の中で、もしかしたらわたしだけなのかもしれない。でも、わたしはその謎をほどこうとも思わない。

ふと思うことがある。あの星座はわたしに何を伝えたかったのだろうか? 消えたはずの星座が生きていることを想像してみる。夜になると、人々の視線の先に、消されたはずの光がこっそりと瞬く。まるで世界に対していたずらを仕掛けるように、人々の意識からすり抜けて築いた別の住処であるはずのない光を放って人々を驚かすのだ。そしてそれから、またどこかの宙域に移動しては光を再編成して、新しい模様を描く。夢と現実の境で聞こえたあのささやきは、わたしにだけそのいたずらを教えようとしてくれたのかもしれない。いたずらはその功績を誰かに共有してこそ楽しいものだし、あの星座も誰かに言いたかったのだろう。


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