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空想お散歩紀行 ライン

太陽が東の空から昇る。いつの間にか夜が明けていたらしい。
徹夜は僕のライフスタイルに反するが、この場合は致し方ない。
僕の隣に立っている男。こいつが僕の徹夜の原因。
雑居ビルの一フロアにある小さな事務所に凶器を持って入り、そこにいた人たちを人質にして立てこもったのが、昨日の夜8時のこと。
そこから2時間後に僕が呼ばれ、一晩中おしゃべりに興じたというわけだ。ネゴシエーターとして。
犯行の動機は、金やら人間関係やらありふれたものだったが、要は説得して無力化させるのが僕の仕事。
結果として男は抵抗することもなく、警察に引き渡された。
人は僕のことを天才ネゴシエーターとか勝手に言う。
事実、ネゴシエーターになる前はカウンセラー、その前はとある企業の営業職。
他人を自分の思う方向へと導くのは、子供の頃から得意だった。
いや、正確には分かりやすかったというべきだろう。
僕にはある力があるからだ。
僕は他人の感情が手に取るように分かる。それは表情とか言葉遣いとかそういう次元のものでなく、もっとはっきりした形で。
ちょうど人の頭の後ろに十字のラインが見えるのだ。
子供の頃学校で習ったグラフの図のx軸とy軸が重なり合ったもののように。
その十字のラインで区切られた4つのエリアに一つの光の点が見える。それがその人の今の感情というわけだ。
4つのエリアのうち、右上が一番いい状態。左上と右下がまあまあ。左下は一番良くない状態とおおざっぱに決まっている。
これを利用して相手と交渉をする。
こちらのどんな表情、声の大きさ、速さ、話の内容に反応するのか手に取るように分かる。おそらく本人すら気付いていないレベルで、光の点は上下左右に動き回る。
コツを掴めば簡単で、要はどんな相手だろうが、その人の光の点が右上のエリアに入るように話を進めていけばいいのだ。
子供の頃、気付いた時にはこのラインが見えていたので、他の子も同じなのだろうと思っていたほどだ。それくらい僕にとっては当たり前のものになっている。
あまりに当たり前すぎて昔は気づくことすらなかったが、最近はあることを考えるようになった。
それは、この十字のラインはそもそも何なのかということだ。
感情の良し悪しを決めるこのライン。
その時、僕の近くをベビーカーを押す女性が通る。
当然この女性にもラインが見える。光の点は左上のエリアの中心付近。特に可もなく不可もなくだ。そしてベビーカーの中にいる赤ん坊。赤ん坊にはこのラインが現れないのだ。
それから小さな子供も薄っすらと現れる程度で、大体小学校が終わるくらいになるとはっきりとしてくることが分かっている。
そこで僕は一つの推論を立てた。
このラインは最初から決まっている絶対的なものではなく。その人自身がいつの間にか作り出しているものなのではないかということだ。
例えば、同じ話題を話しても、それに対して光の点が特に動かない人もいれば、逆にすごく動く人もいる。
つまり全ての人が同じように持っていて、同じように見えるラインは個人でかなりばらつきがある。
おそらく人それぞれがこれまで過ごしてきた環境でそのラインが形作られているのだと思う。
そのラインがその人の善悪、正邪、曲直の境目になっているのだ。
そこで僕は不思議に思う。
人はいろいろなことで、怒ったり、悲しんだりする。
でも、その基準を作ったのも自分なのだ。
自分で作った基準で自分が苦しむ。これは何とも皮肉なことだ。
朝の空を僕は見上げる。
今日は雲一つないいい天気だ。青い空の色が実にきれいだ。とても濃い青に見える。
でもこれも、僕の中のどこかに青の基準があるから言えるのだ。濃くも薄くもない青の基準が。
その基準がいつできたのか僕は全く思い出すことはできない。

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