未来とは、どこにある
子供から大人まで、人が心惹かれる物語はたくさんあるが、
やはり大きな要素はキャラクターだ。
自分が置かれている境遇から、何かに立ち向かう姿は多くの人を感動させるものだ。
この場合、何かに立ち向かうというは、明らかな悪だったり、もしくは勝利だったり、自分の掲げた目標という、自分自身への戦いだったりする。
それらに共通するのは、どれも「未来」に向かった行為ということだ。
人は「未来」というものを非常に重視する。
目標を定めて、それに向かって行動することを立派なことだとする。
もちろんそれは素晴らしいことだ。
だけど、それは逆に、何か未来というものを考えないといけないみたいな圧力になっているような気もする。
未来というものは、正確には無いと僕は思う。
僕たちが感じることができるのは、
常に「今、ここ」しかない。
未来というのは、現在の思考の中にあるものだ。
今、10分後の未来のことを考えることはできる。
でも、実際に10分後を体験するそのときには「今」になっている。
要するに、「未来」なんてものは、「その人が今している思考」でしかないということ。
想像とか、何なら妄想とも言っていい。
なのに、僕たちは未来というものにすごく価値を置いている。
未来のことを常に思い、より複雑に考える人が優れた人みたいな風潮はある。
たぶん、小さい頃からいろんな所で言われてきたことだから、染みついているのだろう。
だけど、今言ったように未来なんてものは、この瞬間の想像にすぎない。
未来を考えなくちゃいけないと、かえって苦しんでいる人が多いのではないだろうか。
そういう人は、ちゃんとしなくちゃという意識が強い。
ちゃんとする=いつも未来を考えているだからだ。
でも、未来を考えると心配になり、不安になり、無力感ばかりが襲ってくるときがある。
そんな「未来」を考え続ける人が立派な人だとは思えない。
それは妄想だ。そんな未来という名のナニカに囚われるぐらいなら、今この瞬間においしい物でも食べたほうがずっとマシだ。
例えば、甘い物でもいい。
甘い物を口に入れた瞬間に浮かんでくることと、ずっと先の未来を考えることは、
どちらも同じ思考でしかない。
そこには本来差などないのだ。
今、未来を考えることがエライことなら、
今、甘い物に対して抱いた想いもエライのだ。
未来を考えることに、そんなに深刻になる必要はない。
所詮は今の自分の思考でしかない。
良さげな未来が頭の中に現れてきたら、
調子いいのかな?
悪い未来が出てきたら、
疲れてんだな。
くらいでいいんじゃないか。
月並みな言葉だが、未来は誰にも分からない。
人が全身で体感できるのは、「今」しかない。
そういう意味では、過去すら誰にも分からないのだ。
過去も、もはや思考の中にしかないからだ。
結局、人ができるのは、今この瞬間に何をしたいのか、何をするのか、それだけなのかもしれない。
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