空想お散歩紀行 病魔との戦い
清潔感溢れる空間。白い壁に天井。床にはゴミ一つ塵一つ落ちていない。
それは当然、ここは病院なのだから。
病気の不安を抱えた患者さんが少しでも安心できるように設計された建物。
全てが回復と癒しに特化したこの場所で、
「ちょっ!待てーーーッ!!」
けたたましい叫び声が入院病棟の廊下に響き渡る。
しかし部屋で寝ている患者。廊下を歩く患者。それからお見舞い客。
誰一人として、その声に反応していない。
驚いているのはここに来て日が浅い証拠だ。それくらいこの声は日常茶飯事なのだ。
「ったく!ちょこまかと」
声の主は白い制服に身を包んだ女性。いわゆる看護師の服を着ているのだが、一か所だけ明らかに異質な箇所があった。
それは腰に下げている鞘。身長の半分はあろうかというそれを彼女は左手で押さえつつ、右手で柄を握る、そして・・・
一閃。
銀色に光る線が空を切った。
「あっ!外した!」
彼女は舌打ちをしながら周りを見る。刀を持った看護師。およそ似つかわしくない組み合わせだが、ここではそれが彼女の『仕事』である。
「サキッ!後ろ!」
彼女の正面から聞こえてきた声。
そこにいたのは、同じく看護師の服を身につけた女性だが、手に握られているのは刀ではなくリボルバーであった。
サキと呼ばれた看護師が後ろを振り向く。
そこには黒いモヤのようなものが浮かんでいて、その中央に赤い目のような何かが心臓の鼓動のように点滅していた。
一度呼吸を入れるサキ。今度は外さないよう、改めて刀の柄を握る手に力を込める。
黒いモヤはサキのその気迫に押されたのか、慌てたように彼女の視界から外れるように右へと移動しようとした、が
黒いモヤが進もうとしたその進路上を鋭い矢のような高速の何かが通り過ぎた。
それは、先程の看護師が持っていたリボルバーから放たれた弾丸だ。
その弾丸にひるみ動きが止まった黒いモヤ。その一瞬の隙を見逃さず、今度こそサキの刀が描く線は対象を捉え、真っ二つに分断した。
斬られたモヤはそのまま空中に霧消するようにチリチリと消えていった。
ふぅと息をつくサキ。そこに、
「よくやった。お疲れさん」
リボルバーを肩に担ぐように持った看護師が声を掛けてきた。
「アシストありがとうございます。先輩」
「未熟な後輩を持って私は苦労するよ」
戦闘看護。それが彼女たちのここでの使命。
世界に蔓延る、人々に巣くい、時に命すら奪う『病魔』と呼ばれる存在。
病魔にとって病院とは、おいしいエサ場に他ならない。常に人々を襲おうとどこからともなくやってくる。
そんな病魔と戦い倒すのが彼女たち病滅師である。
「それにしても最近病魔多くないですか?先輩」
「質の悪いのが流行ってるって噂もあるからね。それかも」
やれやれといった表情をする二人だったが、
「サキさん。メグミさん」
背後から掛けられた声に二人同時にビクッと肩を強張らせ、二人同時に恐る恐る振り返る。
「ふ、婦長」
そこにいたのは初老の看護師だった。眼鏡の奥の鋭い瞳はまるでサキの刀以上の切れ味を思わせる。そして表情一つ変えることなく、
「病魔退治ご苦労様です。ですが二人とも、ここは病院、しかも入院病棟ですよ。患者の皆様に余計な負担を掛けないよう静かに行動するのは病滅師として基本です」
「す、すみません」
二人して頭を下げる。その光景を周りの患者たちは生温かい目で眺める。ここまで含めて彼らにとっては日常の風景であった。
「で、でもですよ婦長。ここだと、壁とか器具がいろいろあって動きづらいんですよ。だからどうしても手こずるというか・・・」
苦笑いで苦し紛れの言い訳をするサキに対して、婦長は眉一つ動かさない。
「では、内勤ではなく、外周りの特務としますか?」
病魔は病院内で発生するだけではない。外から侵入してくることもある。むしろそちらの方が多いくらいだ。そんな外から来る病魔を撃退する仕事も当然存在する。
「い、いや結構です!こんなクソ暑い時期に外に出るなんて!はい!今度からはなるべくスマートにこなしてみせます!」
特に意味は無いが自然と右手で軍隊式の敬礼をサキはしてしまっていた。
「・・・・・・・」
特に何かを言うわけでもなく、ただじっとサキを見つめる婦長。と、その時先輩のメグミが気付いた。婦長の背後の天井に黒いモヤが
いることに。
そいつは先程の逃げるタイプではなく、逆に婦長に目掛けて突撃してきた。好戦型と呼ばれる類の病魔だった。
「婦長!後ろ―――」
メグミが言い終わるかどうかの瞬間、
次に二人が見たのは、十字に切り裂かれた病魔の姿だった。
「では二人とも、今後はもっと自覚を持ってことに当たるように」
それだけ言うと婦長は踵を返し歩いていく。その右手には一本のナイフが握られていた。
「・・・婦長って、前線退いてから10年くらい経つんじゃなかったっけ?」
「恐るべし」
底の見えない婦長の圧力に二人とも、病魔以上の恐ろしさを感じていた。
「あれ?先輩。そう言えば今日シャーリー先輩は?」
シャーリーとは海外からやってきた病滅師である。
「ああ、今日は天草先生のオペの助手だって」
「おお、すごい」
彼女たちが言うオペとは、いわゆる普通の手術ではない。
人に巣くい成長した病魔を倒すことを目的とした、特別な部屋で特別な道具を使用して行われる戦いのことである。
病棟内に現れる、風邪レベルの病魔とはわけが違う強敵を相手にすることになる。
「いつか、私もやってみたいなー」
「ええ?私はこのままの仕事で十分いいけどね」
四方からライトが照らされた室内。中央の寝台に患者が横になっている。今は麻酔で意識は無い。だが時折体が脈打つように小さく跳ねるときがある。
「先生、準備整いました」
「分かった」
先生と呼ばれたその女医は、所々紋様の刻まれた、手術用の緑色の服を着ている。
この場にいる助手たちを含め、一番小柄なその女医は見た目だけなら少女に間違われそうだが、間違いなくこの中で最も格が高い。
「術式固定は四緑型を3重で、各層防壁はワダツミ5式をレベル85を初期値に」
「はい!」
一切滞ることなく指示を出す女医。
「天草先生。いつでも行けます」
「よろしい。ではこれよりオペを開始する」
彼女が両手を目の前に上げた瞬間、室内にドス黒い圧力と咆哮が轟いた。
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