ネタバレOKは不安だから?
少し前に、最近は映画やアニメなど、あらかじめネタバレしてから観るという人が増えているらしい、という話を聞いたことがある。
最初聞いたときは、なんだそれ?と
頭の上にハテナマークが並んだものだ。
何がおもしろいんだ?ネタバレ食らったらおもしろさ半減じゃないか、と。
でも、よくよく考えてみたら、僕がそれまでに見ていたアニメは、
「鬼滅の刃」とか「呪術廻戦」とか
既に原作を読んでいてストーリーを知っているものが多かった。
これはある意味ネタバレしている状態と言える。
何も知らない状態のアニメを一から観ることは昔に比べると随分減ったと思う。
だから、ネタバレを最初にしてから作品を観る人の気持ちも分からないでもない。
やはりそこにあるのは心だ。
特に「損をしたくない」という心が強く働いているのだろう。
自分のお金や時間を使って観たものが、もしつまらなかったら、どうしようという思いだ。
コスパやタイパという言葉が飛び交う昨今では、無駄や損を嫌うのは至極当然とも言える。
この作品は大丈夫という、安心という名の担保がまず最初に欲しいのだ。
それは分かる。僕も最近観たアニメ映画で
「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」という作品を観た。
なんとデが多いことか。
この作品も、オタキングこと岡田斗司夫氏が自身のチャンネルで紹介して絶賛していたから観たものだ。
やはり、何の前情報もなく映画を観るというは一回2千円程度、2時間弱を使うことを考えると、足踏みしてしまうものだ。
だけど、自分が安心してからでないと動けないというのは、結局自分の想定内のことしか起きない気がする。
損をしてもいい、無駄になってもいいという覚悟をした先にこそ、思いがけない何かがあるのではないか。
無駄も損もひっくるめて楽しめるくらいの心を持ちたいものだ。
正しい答えなんて、そんなすぐ近くにあるものではない。
もしかしたら、今は無駄とか損とか思えるものでも、ずっと後になってから、
ああ、あれって実は必要なものだったんだなあ、と思える日が来るかもしれない。
来なかったら来なかったでそれでいい。
正しい答えばかりを求めるのは、やはり不安だからだ。失敗が恐いから。
失敗を無駄なものと捉えているからだ。
だけど、失敗でも積もって山となれば、そこから何か見つかるかもしれない。
それを見つけるのは自分自身にしかできない。
ゴミの山の中からこそ、自分にしか作れない作品が生まれてくるのだとしたら、この世界に、人生に無駄なことなんて一つもないのだ。
ちょっとしたことから、損を受け入れる練習をしていこう。
例えば、近所のスーパーで普段だったら買わないお菓子を買ってみるとか、そんなところから初めてみてもいいだろう。
損する覚悟を持つということは、自分は損をしても大丈夫だという心を持つことだ。
何とかなる。
たぶんこれは、いつの時代でも通用する最強の心なのかもしれない。
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