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空想お散歩紀行 オトギ大戦

その日、月の都は大混乱に陥っていた。
月の中心地にある都市、さらにその中心にある荘厳で巨大な神殿。そこに住むのは月の王族。
その神殿内では今や、その威厳などどこ吹く風といわんばかりの騒々しさに埋もれていた。
神殿に仕える神官や巫女たちは慌ただしく動き回っている。
その理由は、とある重要人物の失踪、いや家出だった。

月から大分離れた宇宙空域に一隻の船が進んでいた。それは2、3人程度しか乗れない個人艇だが、その分スピードが自慢の船だった。
その船に乗っている人物は、今自分が原因で月の都が大騒ぎになっているだろうことは知っている。だがそんなことはこれっぽちも
気にしている様子はなかった。
「ちょっと~。ジュースまだぁ?」
運転席のハンドルに足を投げ出してくつろいでいる少女が催促の声を上げる。船は現在自動操縦になっておりやることがないので暇なのだった。
「はいはい、ただいまカグヤ様」
操縦室の奥から二人の少女が現れる。頭の上にウサギのような耳がついている二人は、月の民だった。ピンと耳が立っているのがギョクト、耳が頭の横に垂れているのがゲツトという名前だ。
ギョクトからジュースのグラスを受け取ったカグヤと呼ばれた少女は短く礼を言うとストローに口をつけた。
「それにしてもカグヤ様。本当に良かったんですか勝手に出て来ちゃって」
ゲツトが心配そうにカグヤの顔を覗き込む。
「何よ今さら。そりゃあいつら今頃顔真っ赤にして走り回ってるでしょうね。いい気味だわ」
心底楽しそうに、カグヤは顔がにやけるのを止めようともしない。
「元々あんな窮屈なところいつか出て行ってやろうって思ってんだから、ま、ちょっと予定より早くなったけど」
「でも、また連れ戻されるだけでは?」
彼女たちが向かっている先は地球だ。カグヤはあの星で育ち、暮らしたことがあったが、本人の意志に反して月に帰ることになってしまった。3年程前の話である。
「前回は私もまだまだ力不足だったわ。でも今は違う、今度は絶対に連れ戻されるもんですか」
カグヤの顔は自信に満ちていた。誰も自分の邪魔はさせない決意がそこにあった。
「それに、あんなの聞かされたら黙ってられないでしょ?」
カグヤが月を飛び出したのは、何も単に月の暮らしが嫌になっただけではない。最高に興味をそそることが地球で起こったからだった。
それは二日前、地球の海から出された。
『我らは海を支配した。世界はこれから我らの手のうちに入ることになる。そして我らの夢はどこまでも広がっていくだろう』
それは支配者の宣誓だった。世界を手に入れるという。その声はカグヤのいる月にまで届いた。
つまり、地球だけでなく、最終的には月も支配下に置くという宣戦布告なのだ。
「この声明を出したやつの名前ってなんだっけ?」
カグヤが尋ねると、ギョクトが即座に答える。
「オトヒメとかいう女ですね」
「ああ、そうそう、そんな名前だったわね。おもしろいじゃない。売られたケンカは何とやらよ」
空になったグラスをポイと投げるカグヤ。慌ててゲツトがキャッチする。
「でもカグヤ様。こんなこと宣言するってことは、そのオトヒメってやつも相当自信があるってことですよね」
「そりゃそうよ。って言うかそうじゃないとつまらないわ。この私にケンカ売ったんだから」
ケンカを売ったのはカグヤ個人ではないのでは、とギョクトとゲツトは思ったがそれは口に出さずにいた。
「まあ、実家から出るきっかけをくれたって意味ではオトヒメってやつに感謝してやってもいいけどね。急な出発になっちゃったから持ち出せた宝具はこれだけだったけど、ま、ハンデってことにしてやりましょ」
彼女が片手を自分の前に差し出す。すると彼女の周りに7色に輝く玉が出現した。それらはふわふわと彼女の傍で浮いている。
「あ、そうだ。ちゃんとお土産持ってきたでしょうね?」
「ええ、月の餅饅頭ですけど」
「久しぶりにおじいさんとおばあさんに会うんだから、もっといいもん用意できなかったの?」
「すみません。何分急だったので」
まあいいかとカグヤは再び操縦席にくつろぐ。
「カグヤ様。そのおじいさんとおばあさんに会って、オトヒメと戦って、その後どうするんですか?」
「ん~?そう単純には行かないと思うわよ」
両腕を頭の後ろに回して目を瞑っているカグヤ。頭の中での単なる想像だが、しかしはっきりとした確信が彼女にはあった。
「あのオトヒメの宣言を気に入らないと思ってるのは私だけじゃないでしょ、きっと」
それっきりカグヤは話さなくなった。寝るから出ていけという合図だ。それを分かっている二人はだまって退室した。
一人きりになった空間。外では宇宙の暗闇がしずかに佇んでいる。この静寂はこれから訪れる激動の前のほんの安らぎだったのかもしれない。
そしてカグヤの想像通り、各地でいくつもの火が静かに灯っていた。
カグヤと同じ宇宙、大いなる星の川の姫。
狼の群れを率いている赤いフードの少女。
長い眠りから目覚めた純白の雪。
オトヒメに支配された海で反旗を掲げる人魚。
龍と共に暮らす黒衣の姫。蟲を愛する姫。
他にも、数多くの意志が、地球を戦場としてぶつかろうとしていた。

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