遊び、楽しむ。人生のプロ
超!おもしろカッコイイぜ!
小学生の頃はガンダムのようなリアルよりのロボットものよりも、
魔神英雄伝ワタルとか、魔動王グランゾートのような、ファンタジーと合体したロボットの方が好きだった。
広井王子氏のインタビューで、長年創作を続けて来られたのは、
仕事としてではなく、趣味の延長として考えていたから。
当然、お金をもらう以上はしっかりした物を作るという意識もあるだろうが、
それでも、根底にあるのは「楽しさ」なのだろう。
「楽しさ」こそがやはり長く続けていける秘訣なのだと再認識させられる。
おもしろかったのが、スポーツはプロのものではなく、アマチュアのためのものという考え方だ。
どの分野でもそうだが、プロが活躍し、ああなりたいと思う多数のアマチュアがいるからその分野は盛り上がる。
日本の漫画が世界でも頭抜けて発展しているのは、すごいプロがいることもそうだけど、
それを楽しむ人、真似して絵を描く人がたくさんいるからだ。
あと、自分に向けて作品を作っているというのも、おもしろい。
小学生の頃の自分に、大学生の頃の自分に向けて、その頃の自分がおもしろいと思う作品を作る。
自分を楽しませることが、何かを創り続けることにつながるのだ。
「本人が面白いと思ったとおりに塗っているだけ。なのに見る側がショックを受ける。それがアートなんですよ」
「そういう気持ちを忘れないようにしていますね。そうしていると、なぜこうなったのかが自分でも分からないものが生まれたりするんです」
自分がおもしろいと思った通りに創る。たぶんそれは、こうすればいいのではという計算の思考を超えた何かがあるのだろう。
そういうものに触れた時、人は感動するのかもしれない。
たぶん、人が本当に感動する時というのは、泣くとかそういうのではなく、とにかくよく分からないけど魂が震えるような、そんな感じがする時だと思う。
あと、好きなことをやっていると、そこにお金も流れてくると言っている。
確かにそうなれば理想だが、そうそう皆ができるとは限らない。
だけど、自分が生きていく中で、
これが好きなんだというものを、表現する時間や場所は少しでも持っておくことは、とても大切なことだと思う。
どうしても、現実というものを見なければいけないという気持ちが先に立つ。
しかし、現実とは一体何だろう?
自分の好きなこと、楽しいと思うことも紛れもない現実のはずだ。
なのに、いつの間にか自分の好きなことに目を向けることは、わがままとか、大人がすることではない、みたいな考え方をしてしまう。
その決めつけは一体どこから来たのか?
勝手に僕たちは「好き」と「正しさ」を天秤の両端に乗せている。
この二つは対立するものではないはずだ。
だけど、どちらかを優先させたら、どちらかが疎かになると思っている。
大人こそ、もっと自分の好きなことを素直に楽しむべきなのだ。
最近の若者は、なんて言葉は遥か昔からあるが、
若者を育てたいと思ったら、知識や技術を教えるとか、人生には辛いことや大変なことがいっぱいあるんだぞとか、こうすれば効率的にお金を稼ぐことができるぞとか、そういうのも大切かもしれないが、
ただ、大人が楽しんでいる姿を子供や若者に見せるだけでいいと思う。
大人が人生を楽しむプロになれば、アマチュアは憧れて、勝手に自分たちで育つと思うのだ。
そうやって、いろいろなことが受け継がれていく。
だから、楽しもう。
人生でやるべきことなんて結局のところ、それだけなのかもしれない。
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