空想お散歩紀行 永遠の命
最初は単に人の形を模した作り物に過ぎなかった義手や義足。人の体の代替品はその後の技術の進歩に合わせ、より複雑により精密になっていき、最終的に人が自らの意志で、自分の体のように自由に動かせるまでに至った。
それは人の体が機械の部品と交換可能なパーツと位置づけられることと同義だった。
それまでは事故や病気などで仕方なく代替品を使うのが普通だったが、今や自分から肉体を捨て、機械に換装することも別段不思議なことではなくなっている。
しかし人という生き物はそれだけで止まることはない。
体を数式で完全に解明できることになった人類は次に心の完全解明を目指した。
そして時間はさらに掛かったがついに、記憶、思考、人格の法則化に辿り着いた。
その結果起こったことが、
「ひさしぶりにお婆ちゃんと話せてよかったねー」
ある建物から笑いながら出てくる家族連れ。
そこはあらゆる人が眠っている施設。墓地と言えばそうなのかもしれないが、正確には違う。
心や人格を解明した結果、人は死ななくなった。
今やほとんどの人は生前に自分自身のあらゆるデータをコピーして保存している。
なので、肉体が生命活動を停止したとしても、その『人間』は生き続けることが可能になったからだ。
肉体は生きている一つの状態でしかなくなった。
人々はいつでも、肉体の生命活動を終えた家族や友人と話すことができる。
天国があるとしたら、それは想像の中ではなく、データバンクという物理現実の中。
天国とは別世界ではなく、完全に人が生きる世界と地続きの存在になったのだ。
体も心も数式化し、肉体が滅んでも何の影響も無かったかのように演算領域で思考し、知識や記憶を蓄えることができるようになった人間に、もはや死という概念は遠い過去のものになった。
それは、遥か昔の人間が望んだ理想郷なのだろうか。
その疑問と葛藤だけは、この先も完全に解明されることは無いのかもしれない。
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