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安心するということは

人は誰でも幸せになりたいと思っている。

では、幸せとはどのような状態を言うのか?

お金が腐るほどある状態か?
それとも、素敵な友人がたくさんいたり、最高の恋人がいる、温かな家族がいることを言うのか。

それらも確かにそうだ。だけど、これらや、そのほかあらゆる幸せに共通していることがある。

それは、この上ない安心感を抱いている状態ということだ。

では、至上の安心とは何を指すのか。
それは、自分の敵がいないことである。

この場合、敵とは、問題とも言い換えることができる。

この世にある、無数の物語の中で、ハッピーエンドと呼ばれるものの多くは、

主人公の敵(問題)がいなくなったことだ。

分かりやすいRPGで言えば、魔王という敵を倒したあとの世界こそが、安心を表現している。

しかし、物語なら敵を倒してめでたしめでたしにできるが、

人の人生についてはどうだろうか。

歴史上、英雄や偉人、傑物と呼ばれるような人物は多数存在するが、

敵を倒しました。そして残りの人生を安心して死ぬまで暮らしました。

なんてことができた人物は果たしていたのだろうか。

圧倒的多数の一般人と同じく、

敵(問題)を倒しても、また新たな敵(問題)が立ちふさがったのではないだろうか。

敵は外側にもいるし、内側にもいる。
問題は自分以外からもたらされることもあれば、自分自身から発生することもある。

つまり、敵(問題)がいなくなることによる安心というのは、まず不可能なのではないだろうか。

では、人は一生安心を得ることはできないのか。

そんなことはない。
なぜなら、安心というのは、結局のところ解釈だからだ。

〇〇という条件が満たされたから安心、なのではなく、

自分が、安心すると決めたから安心なのだ。

全ては自分が決めている。

だから、敵が全ていなくなるまで安心できないと考えるのではなく、

敵がいても安心できるような心持ちに変えていけばいい。

これまで、自分にとってつらい状況で、つらい感情しか湧かなかったかもしれない。

でも、だからといってこれからも同じようにする決まりなどどこにもない。

敵がいようがいまいが、笑うかどうかを決めるのは自分自身以外にいない。

むしろ、つらい状況だからこそ、
今自分は何を思っていて、そしてどういう状態になろうとしているのか。
状況が大変だからといって、そのままそれに流されて心を弱くしようとしていないか。

自分の心を中を見るチャンスとも言える。
そしてそこで、マイナス以外の感情を持つこともできるのだ。

物語に出てくるキャラクターで、
僕たちはやはりどこかで、多くの敵(問題)に囲まれても、笑うことができる、

そんなキャラクターに憧れを持っているのではないだろうか。

そしてそれは、たとえ少しずつでも、歩みはゆっくりだったとしても、

自分も、そういう人物になることはできる。
まずはそう考えることが大切なのだ。

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