空想お散歩紀行 魔法の修行 こそあどの極地
「さて、今日の授業を始めるぞ」
「はい、師匠!」
口ひげをたくわえた60歳くらいの見た目の男が、目の前の机に座るたった一人の弟子の女の子に語りかける。
まだ幼さの残る少女は元気に返事をして、真剣な表情で師匠に向き合う。
二人はこの世界における魔法使いの師と弟子だった。
「今日は空間転移、分かりやすく言えば瞬間移動、ワープだな。それについて教える」
「おお、魔法っぽい」
空間転移、離れた場所に移動する魔法。達人の域に達すると、ドラゴンの翼をもってしても1日は掛かるような距離でも移動出来てしまうらしい。
「では私が先に見本を見せる」
そう言うと師匠は自分の1メートル横に瞬間移動してみせた。体は少しも動かしていない。ただ横に絵をずらすかのように移動したのだ。
「おお~」
弟子が感嘆の声を上げる。
「空間転移はこれだけだ。移動する距離が1メートルだろうと、視界に入らない彼方であろうとやることは同じだ」
「でも、やっぱり難しそうです。空間転移って高等魔法じゃないですか」
「確かに高等魔法ではある。だがある意味では最も簡単な魔法でもある」
「??????」
頭の上に大量の疑問符を出した弟子に師は説明を続ける。
「炎の魔法は火の精霊。水の魔法は水の精霊の力を借りないとできない。だが、空間転移は誰の力も借りない。自分のみの力で行うものなのだ」
「ああ、そう言われると、簡単なの・・・かな?」
いまいち納得がいっていないようだったが師は構わず続ける。
師匠は3メートル離れた所にあるテーブルの上に人形を一つ置くと弟子に向かって言った。
「さてあの人形の置いてある所にお前はいるか?」
突然の質問の内容が意味不明すぎて弟子は少し固まってしまった。
「い、いや。私はここにいますよ。あそこにはいません」
弟子は離れた所に置いてある人形を見ながら言った。
「お前はここにいる。あそこにはいない。では『ここ』と『あそこ』とは何だ?」
続けざまの師匠から質問にさらに弟子は困ってしまう。何だか意地悪をされているような気分になった。
「うーんと質問の意味がよく分からないんですけど」
「どこまでが『ここ』でどこからが『あそこ』なのだ?」
もはや弟子の目はぐるぐると回り始めている。まったく答えが見えてこない。これなら嫌いな魔術数式の問題の方がまだましだと思えた。
困惑している弟子を見て、師匠は質問の仕方を変えた。
「空を見てみるがいい」
そう言われて弟子は窓の外に広がる空を見上げた。今日は実にいい天気だ。
「見ましたけど・・・」
「どこからが空なのだ?」
また同じような質問に弟子は困ったが、今度は一応答えてみた。
「でーと、あそこある山の上くらいから、かな?」
ちょうど視線の先にあるこの辺りで一番高い山を差して弟子は答えた。
「ふむ。あの山の上からが空か。ではあの山の下は空ではないのか?」
「えーと・・・空中?」
何だか言葉がこんがらがってきた。できることならあの空に浮かぶ雲に乗って逃げ出してしまいたいと弟子は思った。
「空と、空でないもの、その二つをお前はあの山で区切った。その境界線はどうやって決めたのだ?」
「え?そんなこと言われても、適当と言うか、そんな感じがすると言うか・・・」
いまいち自分でも分からない曖昧な答えをする弟子だったが、師匠はその言葉を待っていたかのように先に続けた。
「つまり、自分で勝手に境界線を引いたというわけだ。そんな感じがするという理由で。ならば自分の頭のすぐ上を、空と勝手に境界線を引いて決めてもいいのではないかね?」
「ええと、そうかもしれないですけど・・・って言うか師匠、これ空間転移の授業なんですよね」
魔法の授業がいつの間にか言葉の迷路のような所に迷い込んだ気のする弟子は師匠に確認した。
「ふむ。ではもう一度、あの人形を見てみろ」
師匠は再度、離れた所に置かれた人形に視線を向ける。弟子もそれにつられるかのように目を向けた。
「お前は勝手に境界を引いた。そして『ここ』と『あそこ』は別のものだと勝手に決めたのだ」
弟子は黙って師匠の言葉を聞いていた。
「空間転移魔法の基礎であり極意、つまり全ては、その境界を取り払うことなのだ。『ここ』と『あそこ』と線を引いて、『ここ』に自分はいる、『あそこ』に自分はいないという思い込みを捨てること。全てを『ここ』だと認識することだ」
「つまり、世界中を『ここ』だと思うことで、世界中のどこにも転移できる、と?」
「そういうことだ」
「なんとなく、理解できるような気もしますけど、やっぱり難しいですよ。だって目に見えて違いますもん!ここはあそこと違うって」
「なのでこの魔法は自分の力だけで行う難しいものであり、かつ簡単なものでもあるのだ。
まずはやってみなさい。1センチ転移するところから初めてみよう」
「1センチですか」
「それができれば後は全てその応用だ。それ故に一番高い壁でもある」
弟子は師匠に言われるままに、目を瞑り心を静かにするところから始めた。
「良いか。これは空間転移だけではない、全ての魔法に通じることだが、まず世界がありお前が観測するのではない。お前が観測したものが世界になるのだ」
「分かってますよ」
この師匠に付いて魔法の修行を始めた時から耳にたこができるくらい聞かされた言葉だ。
だけど今、ただでさえこんがらがっているところに追い打ちのように掛けられた言葉はさらに頭を混乱させた。
「いけないいけない。今は集中っと」
弟子は呼吸を整え集中状態に入る。
これが、後に時空間魔法の大魔女として名を馳せる少女の最初の一歩だった。
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