空想お散歩紀行 帰省ラッシュを越えたとあるホテルのひと時
「お部屋3022室になります。エレベーターは右手奥になります」
鍵を受け取った客がそそくさとカウンターを離れる。
その姿を見て、受付の女性レイナは一つため息をついた。
チェックインが激しくなる時間帯を抜け、これから夜の忙しくなる時間帯の間にできたわずかな凪の時間。
「お疲れ様」
その声に振り返ると、そこには同じく受付で働いている同僚のマリの姿があった。
「お疲れ様。いやー疲れた」
「でも、先週に比べたらマシでしょ?」
「まあ、お盆の帰省シーズンに比べたらね。
何でみんな同じ時期に動くんだろ?」
「そういうものって昔から決まってるのよ」
「自由意志はないのかね。せっかくもう肉体に縛られていないのに」
そう言うとレイナはロビーを見渡す。
これから出掛ける人、部屋に戻る人、ロビーにあるソファー席で談笑する人、お風呂場に向かう人。
いろいろな人がいるが、ここにいるのは皆、既にこの世の人間ではない。
「幽霊なんだから、もっと自由にすればいいのに」
「幽霊だからこそ、生前の生き方にこだわるみたいよ」
マリの言葉に確かにレイナは思った。このホテルにはいろいろなお客様が来るが、この前来た明治の時代を生きた人とは、価値観の違いか話が微妙に噛み合わなかったことを思い出した。
「でも時代も変わってるんだからさ、幽霊ももっと変わっていいと思うんだよね」
実際、昔は幽霊が現世に戻ってくるのはお盆の時期がほとんどだった。今でもお盆が帰省シーズンであることは間違いないが、それでも昔に比べれば、お盆以外の時期に現世に来る者は増えている。
「昔はナスやきゅうりの乗り物で現世に来てたって話もあるわよね」
「それ信じてるのもう現世の人間だけでしょ。どんだけ昔よ」
今では、幽霊個人がそれぞれ持っている携帯端末でいつでも好きな時にタクシー等の交通手段を呼び出せる時代だ。
「お盆の忙しさも季節ものと考えればいいでしょ?めちゃくちゃ忙しい時期とほとんど忙しくない時期があるのと、平均的にそこそこ忙しいのがずっと続くのとどっちがいい?」
「え?え~~と・・・」
その質問にレイナは本気で考え込んでしまった。
「ま、この仕事の良い所は、潰れることは絶対に無いってことよね」
まだ悩んでいるレイナをよそに、マリは手元にあった新聞を見る。ホテルのロビーで無料で配っている物だ。
記事には、
『現世、○○国でウイルスの猛威止まらず!死者連日記録更新!』
『現世の△△地域での和平交渉決裂。戦闘激化の見込み』
等々、物騒な見出しが所狭しと並んでいる。
「こりゃ、来年も忙しくなりそうだわ」
マリが特に感慨もなく記事を眺めている横で、レイナはまだ腕を組んで悩んでいるのだった。
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