空想お散歩紀行 休日のカフェと陰影女子高生
ここケルト市では、多くの異種族たちが生活している。
皆それぞれの種族の特徴を理解し、それぞれに合った生き方をしている者は多いが、全てではない。中には自分の持っている特性に悩んでいる者も大勢いる。
今日は、雲一つない晴天。太陽が高い時間にもかかわらず、汗をかくほどには気温が上がらなくなった秋の中頃。
しかしここに、額から大粒の汗をかいている少女が一人いた。
(気がはやっていたとはいえ、入るお店間違えたかな・・・)
周りを見ると休日のためか、そのカフェの店内は混雑していた。しかも自分以外は皆、友達やカップルで来ている人たちばかりで、一人で席を使ってしまっていることに何となく罪悪感と羞恥が心の中で踊っていた。
(でもしかたないよね。だってガマンできなかったし)
少女は、もっさりとした灰色がかったロングヘアーに、顔にはマスクをしている。目は不安げに辺りを何度も行ったり来たりしている。
見る人が見たら怪しげな不審者に見えたかもしれない。
慣れない店で注文した慣れないコーヒーを飲みながら彼女は自分のカバンからある物を取り出した。
それは綺麗にビニールに包まれた一冊の本だった。ついさきほど買ってきたばかりの新品だ。
(おほおおぉぉぉ!!)
決して声には出さないが、心の中で彼女は絶叫していた。
(やっぱり何度見ても表紙だけでもうたまらんよ!!)
心の中で嵐が吹き荒れそうになった瞬間、ハッと彼女は気づき、慌ててマスクの上から顔を手で抑える。
(ふぅ、危ない危ない)
息を整えると、彼女は丁寧に本のビニールを剥がし始めた。彼女がマスクを手で抑える直前、マスクが内側から何かに押されるようにムクムクとわずかにせりあがったことに周りで気付いた者は誰一人いなかった。
(れっきとファンほど冷静でなくてはならない。ただ騒ぐだけじゃ、そこらのアイドルファンと同じじゃないか)
ビニールを剥がし終えた本を改めて見つめる。
それは、『翠雲の水平線』略してスイスイと呼ばれる冒険ファンタジーものの少年漫画だった。
少年漫画なので、登場人物の8割は男キャラクターなのは特に不思議は無いのだが、この作品は少年漫画であるにもかかわらず、ファンのおよそ7割は女性と言われているほど女性からの支持が高い。
この少女、ルーもまたファンの一人だった。しかもこの作品が連載開始した頃からのファンであり、いわゆるオタクだった。
今日も、新刊の発売日ということで早速行きつけのアニメショップに行き、新刊(特典付きの特装版)を買って、家に帰るまで待てずに、普段だったら絶対に入ることはないであろうオシャレなカフェへと入ったのである。
(くぅぅ・・ッ!やっぱりヒョウ様とホノちゃんの絡みはたまらんなあ!尊い・・・)
すっかり物語の世界に入り込んでいるルー。
だが、周りの客の笑い声やコーヒーの匂いにふと、ここがカフェの一角であることを思い出して現実の世界に引き戻される。
(・・・やっぱり、家に帰ってからの方が良かったかな・・・)
そしてまた彼女はマスクの上から自分の顔を抑えた。
ここは、音も匂いも強い。彼女は微かな音も匂いも敏感に感じ取ってしまう自分の特性が時々イヤになる。
だが、本当にイヤだと感じるのは別のことだった。
先程、アニメショップに行った時、スイスイの新刊を見た瞬間思わずテンションが上がってしまい・・・変わってしまった。
もさもさの髪はさらに際立ち、頭からはぴょこんと三角の耳が出て、鼻と口も顔の前方に大きく伸びてしまった。
彼女は、狼に変身する能力を持っていた。一般的には狼男が有名であるが、彼女は狼女だった。
(あの時は周りに人がいなかったからいいけど、こんなとこで変身しちゃったら恥ずかしいなんてもんじゃないよ・・・)
狼に変身する種族は、かつて満月を見ると変身すると言われていた。確かにそうなのだが、それは一部である。だがそれが一般的であると広まった誤解なのだ。
正確には彼ら彼女たちは、自分たちのテンションが上がるもの、つまり興奮するものを見た時に変身する。
ルーにとっては、それはマンガでありアニメだった。
(オタクだってこと隠してんのに、変身しちゃったらバレバレじゃん。だからヤなんだ狼女なんて)
多くの人は狼男や狼女なんて気にしてはいないのだが、自分にあまり自信を持てていないルーにとっては必要以上に周りの視線は気になってしまうのだった。
やっぱり、家に帰ってから読もうとマンガをしまおうとした瞬間、
「あれ?ルーさんじゃん?」
突如彼女に声を掛けてきた存在がいた。
「ッッッ!!!」
突然のことに声を上げることもできず、ただ体を硬直させて、声がしてきた方を見る。
そこにいたのは・・・
「ああやっぱルーさんじゃん。マスクしてたからちょっと分かんなかった」
明るく話しかけてきたのは、ルーと同じ高校、そして同じクラスの女の子だった。
明るい赤の髪に頭の左右からは小さな角が生えている。そして背中からは黒い蝙蝠のような羽と、お尻からはハート形の先端を持った尻尾。
「あ、え、えと、ディア・・・さん?」
クラスメイトと言えど、この二人はまさに両極端だった。
片や、一人で静かにしていることの方が多いルーと、片やいつも周りに友人がいて楽しそうに話しているディア。正直言うと、ルーは一方的にディアに対して苦手意識を持っていた。
(な、なんでこんなとこにクラス一の陽キャがいるんだよ??)
と言うが、むしろこの場で違和感が強いのはルーの方である。ディアの方はまさにこういうカフェでお茶する人といった格好だ。
(ルーさんってこういうとこでお茶するんだね~。何か意外)
特に普段話すわけではないが、親し気に話して来るディアに対して
(くそっ・・・この陽キャめ。私みたいな陰キャはこういうオシャレなとこでお茶するのは似合わないからさっさと出ていけとでも言いたいのかッ!)
瞬時に被害妄想へと入るルー。
その時、ディアはルーが持っている物に気が付いた。
「あ!それって!」
(まずい!こんなとこでマンガ読んでるのバレた。きっと明日はクラス中に言いふらしてオタクをバカにするんだ。そして自分はそれを肴に男と盛り上がるんだろ!このサキュバスめ!)
完全な被害妄想である。だが、事態はまったく思いもかけない方へと進んだ。
「それ!スイスイだよね。ルーさんも読んでるんだ。いやー、私も今日新刊買いに来てさ。帰るまでガマンできなかったらここで読んでたんだ」
ちょっと照れくさそうに話すディアに、ルーは思考が追いつかないでいた。
(へ?ディアさんが、スイスイを?何で?)
「ね?ね?せっかくだから、少しお話しない?」
そう言うと、ルーの返事を待つことなく、ディアはルーの向かいの席に座った。
(ふ、ふん。何だかんだ言っても、所詮は最近話題になったから乗っかってきただけのミーハーだろ)
そして、数十分後・・・
「で、私はあの場面そう思ったんだ」
この間、喋っているのは8割ディアで2割ルーといった感じだったが、
「そ、そうなんだ。なるほどね」
正直ルーは相手のことを甘く見ていた。
(そ、そんな解釈もできるのかッ!あの場面で!と言うか今までの話全部に新しい発見があるッ!ここまで読み込んでいるなんて)
ディアのスイスイへの想いは本物であると、ルーは認めざるを得なかった。いや、もしかしたら自分以上かもとすら思えた。
「でも、ルーさんの考えもおもしろいよ。私今までそんな風にキャラを見たことなかった」
「そ、そう?」
ちょっと失いかけた自信にすかさず入るディアのフォロー。天然か計算か分からないが、ルーにとっては悪い気はしない。
「あ、それでね。私コスプレもこの前してみたんだけど」
と言ってスマホの画面を向けてくるディア。
(コ、コスプレッ!?そんな、コスプレって
同じオタクだとしてもカミングアウトが難しいもんじゃないの!?それをそんなほとんど話したことの無い相手にできるの!?しかもコスプレってある程度自分に自信がないとできないでしょ!?)
慌ただしく駆け巡る思考の洪水に翻弄されながらも、ルーは差し出されたスマホの画面を見た。そこには、
「こ、これって・・・」
「そ。フゲン」
映っていたのは、ルーの最推しのキャラのコスプレをしたディアだった。
「こ、これは、火の神編の過去回想で出てきた時の、ま、まさかこんな渋いチョイスをしてくるなんて・・・しかも小物までしっかり再現している」
男のキャラクターにもかかわらず、まさに物語の世界からそのまま出て来たかのような出来だった。
「やっぱりこの時の服が一番このキャラの心を現してると思うんだよね。決意って言うかさ」
「分かる」
あなたは神かと、ルーはすっかりディアと意気投合した。
そしてその後も、スイスイの話で盛り上がった二人。
「あ、もうこんな時間か。今日はこれくらいにしよっか」
「そ、そうだね」
まるで夢のような時間だった。自分の好きなものを他人と共有できるというのはここまで素敵なことなのかと思うと同時に、この時間が終わってしまうことがひどく寂しいとルーは思った。
席を立つディア。その背中がもうすぐ去ってしまうのだと思ったとき、ふとその体が振り返った。
「今度またお話しようね。今度はルーさんのおススメの漫画の話とか聞きたいな」
その屈託のない笑顔に、ルーは思わず変身してしまうところだった。
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