問題を手放すとは
何か問題に直面して行き詰ってしまった時。
新しいアイデアが出なくて苦労している時。
解決法の一つとして、その問題からしばらく離れるというのがある。
頭で考えるのをやめて、無意識に任せることでよい考えが出てくるというものだ。
人が自分で意識できる範囲と無意識では、無意識の方が大きなパワーを持っているから、その力を有効活用する。
スタジオジブリの「魔女の宅急便」でもそのことと思われる箇所がある。
画家のウルスラ(本編で名前が出てこないから、意外と名前が知られていない)が、絵についてスランプに陥った時に何をしたか、
まずは描いて描いて、描きまくる。
そして、それでもダメだったら、描くのをやめる。散歩したり、景色を見たり、昼寝をしたり、何もしない。
そうすると、ある時急に描きたくなってきたという。
問題に突き当たったら、その問題から離れることが大切だということが分かる。
でも、自分が問題だと思っていることから、離れることはけっこう難しいと思う。
なにせ、問題だと思っているからだ。
僕も、やらなくてはいけないと思っていても、不安や心配が大きくて動けないという時、一旦気分転換しようと思うときがある。
だけど、最近思うことがある。
問題から離れたつもりでも、離れてないな、と。
本を読む、アニメなどの動画を観るなど、違うことをしても、それだけでは問題から離れたことにはならない。
なぜなら、手放していないからだ。
問題から離れた気になっているだけ。
例えるなら、手にボーリング玉を持っている。
重くて手が疲れる。
それを何とかするには、一番の解決法はボーリング玉から手を離すことだ。
だけど、それをせずに、ボーリング玉に布を被せているような状況だ。
問題は見えなくなっているが、手に持ち続けていることには変わらない。
だから重さはそのままだ。
問題から離れているように錯覚を起こしているだけ。
しかも、錯覚しているものだから、自分は問題から離れているはずなのに、何も変わらないと焦りを感じて、次に何をするのかと言えば、
また、布を重ねて掛けている。
ボーリングの玉はますます見えなくなる。重さはそのまま。自分では原因が分からない。
悪循環だ。この時、問題に掛ける布は様々だ。
知識を得ようといろいろな本を読む。
とにかくお金を稼ぐために働く。
ただ時間を潰す目的で遊ぶ。
悪者を探して叩く。
どれも一時的には気分が変わったような気になるが、それも長くは続かない。
またすぐに問題へと引き戻されて、同じことを繰り返す。
だから、自分の抱えている問題をまずはじっくり見てみることが最初の一歩だ。
とことんそれを見てみるしかない。そこで善い悪いの判断はせず、そのままにする。
焦らずにそれを続けるしかないと思う。
問題を手放すとは、何か別のもので上書きするということではない。
それを特別扱いせず、ただそこにあるものとして扱う。
勝手に大きなものにもせず、勝手に小さなものにもしない。
手で持たずに、少し離れた所から見るつもりで。
そこに問題があることに対して、気持ち悪さを感じると思う。
今すぐに何とかしたい。何かを被せて見えないようにしたい。
そう思うだろうけど、ここは踏ん張るしかない。
問題から、離れるけれども、それから目を逸らすわけでもなく、かと言って執着するわけでもない。
自分で言ってても、難しそうに感じるが、でも大切なことなのではないだろうかと、ふとそんなふうに思った。
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