空想お散歩紀行 正義の心
「タイミングが悪かったかな・・・」
やっとこさ見つけた酒場の入口をくぐった後、思わず声が漏れた。
ちょうど日が落ちた時刻。酒場は冒険者と思われる者から、地元の者と思われる者、性別も種族も様々でここが一つの世界のような様相だ。
どこか空いている席はないかと周りを見渡してみるがなかなか見つからない。もう諦めようかと思った時、ふと店の隅が目に入った。
少し暗がりになっていて気づきにくかったが、一つの小さなテーブルに一人の男が座っていた。周りの喧騒とは切り離されたようなその一角に近づく。
「ああ、悪いんだが、ここ、相席いいかな?」
男はローブで隠れた顔をこちらに上げる。どうやら老人のようだ。見たところ70くらいだろうか。
「ああ、いいよ」
思ったより明るい声が返って来たので私は安心して男の向かいに座った。
ビールと簡単な食事を頼み終わると、男の方から話しかけてきた。
「旅人かい?」
「ああ」
私は短く答える。こちらから聞くことはしなかったが、男も全身を覆うローブ、長く伸びた白いひげを見るにこの辺りに定住している者ではなさそうだ。男も旅人だとしたら見た目よりも健脚なのだろうか。
「どこから来たんだい?」
「東の方からさ」
「と言うことは、ここに来るまでにコレポの国には立ち寄ったかね?」
「コレポ?・・・ああ、あそこか。確かに見てきたよ」
私は一瞬思い出せなかった。なぜかと言うと、そこはもう、国ではなかったからだ。
コレポは城を中心とした街が円形に広がる小国で、貿易やらでそこそこ栄えていた。しかし今そこにあるのは、ただただ廃墟とそれらに絡みつく植物が広がる土地だった。
「確か、5、60年くらい前に滅んだんだったっけ?」
「そうだ、あの国が滅んだ理由は知っているかね?」
「詳しくは知らないが、内乱が起こったとかなんとか」
私が訪れたその元王国には、街を守るための壁がぐるっと全体を囲んでいたと思われる跡がところどころ残っていた。ほとんどは崩れ落ちていたが当時はさぞかし立派だったと簡単に想像できた。しかし、その壁も外敵を防ぐことはできても、内部からの崩壊にはどうしようもなかったようだ。
頼んでいたビールと食事がやってきた。よく冷えたそれで喉を潤すと、その国のことなどいっしょに流れていってしまいそうだったが、「では、なぜその国で内乱が起こったかは知っているかね?」
向かいの男にそれを止められる。
「いいや。あんたは知ってるのかい?」
「ああ、知っているとも」
私はその言葉に反応していた。私は歴史学者ではない。しかし知らないことを知る、その機会には目ざとい。旅をしている醍醐味の一つでもある。興味が出てきたので話を聞いてみることにした。
「さて、知っての通りコレポは今から55年前に滅んだ。そしてこれもお前さんの知っている通り、戦争でもなければ疫病でもない、自国内で起こった暴力の渦がそのまま国を飲み込んだのだ」
「なんでまたそんなことが?政治に不満を持った民衆が立ち上がったとかか?」
「それだったらまだましだったかもな」
男はふと、遠くを見るような眼になった。私は料理をつまみ口に入れる。
「原因は一人の魔法使いだった。その魔法使いによる魔法によって、人々は互いを憎しみ合うようになったのだ。そして憎しみは争いとなり、全てを傷つけ殺していった」
男の言葉には深い嘆きが感じ取れた。
「魔法によって人々の心に憎悪を植え付けて国を滅ぼすか。おとぎ話では聞いたことがあったが、現実でもあるんだな」
その時、男は軽く首を振った。そしてどこか皮肉めいた笑みをこぼしながら語り始めた。
「そうではない。その魔法使いは国を滅ぼしたかったのではない。彼は憎しみを人々の心に起こしたのではない」
「では、何を?」
「・・・正義の心だよ。魔法使いは人々に正しく生きて欲しかったのだ。そうすれば国は未来永劫栄えると信じていたのだ」
「・・・・・・」
私は少し考え、それなら問題ないのではと言おうとしたが男は私の言葉を待たずして続けた。
「その魔法使いが見誤っていたのは、正義はたった一つの価値を持った絶対的なものではなかったということだ」
そこまで聞いて、私はこの話の流れになんとなく気づいた。
「なるほど、つまり・・・」
「そう、正義は一つではない。人の数だけあったのだ。自らの正義を信じた人々は、自分以外の正義を悪と決めつけた」
「正しさと正しさがぶつかり合って、争いになったと」
「魔法使いが気づいた時には全てが遅かった。
結果は、見ての通りだ」
しばらく私と男の間に沈黙が流れた。手にしたビールの気がすっかり抜けてしまっていたのにも気付かないほどに。
男は静かに立ち上がる。
「悪いね。少し暗い話になってしまったな」
「いや、貴重な話だったよ」
「そうか」
男はどこかほっとしたような、そんな感じの声を最後に残し、私のテーブルから去っていった。そしてあっと言う間に酒場の喧騒の中にその姿は溶けていく。私は近くにいたウェイトレスに追加の注文を頼んだ。
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