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空想お散歩紀行 音の無い世界で

ブッ!
コードを切った瞬間、断末魔にしてはあっさりとした音を立てて、それまでの喧騒が嘘のように周りに静けさが訪れた。
「やれやれ、やっと終わった」
男が頭全体を覆う特殊なヘルメットを脱いで、ようやくといった感じで一息ついた。
「こちら、シジマ部隊セイン・ジャックだ。今、キコク・コアの無力化を完了した」
『了解。セイン隊長、お疲れ様です。今回収艇を向かわせますので、しばし待機を』
通信機のスイッチを切って、セインは改めて近くにある窓の外を見る。
「早く迎えにきてくれよ。あまり長居したい場所じゃねえんだ」
窓の外は連なる山々が遥か下方に座し、地面を流れる川が細い糸にしか見えなかった。
そこは、上空何千メートルという場所を飛んでいる飛行船の中だった。
他に誰もいない船内で一人タバコをふかす。その煙はただゆらゆらと漂って、そして消えていった。
先程まで、とてつもない場所だったとは思えないほど静かだった。
セインはその無音の世界をタバコと同じように味わった。これがこの仕事の唯一の特権と言ってもいいかもしれない。
どうせまたすぐに、うるさい世界に帰ることになるのだから。
今からおよそ50年程前。世界は音で溢れていた。それは今も変わっていないが、その頃は人々の娯楽のための音が流れていたらしい。セインは自分が生まれる前のことだからにわかには信じがたいと今でも思っている。
当時、世界中で原因不明の奇病が流行った。感染力と致死性が高いという極めて厄介なその病気は、原因がウイルスということは判明したが治療法が分からなかった。
しかしある時思いもよらない対処法が発見される。
それは、このウイルスが音に弱いということだった。
それからというもの、世界中のあらゆる所に音を発生させる装置が置かれた。それもただの音ではなく、少しでも人々が楽しめるよう、様々なジャンルの音楽と呼ばれるものが流された。
こうして世界の危機は去った。
しかしそれはウイルスによる危機が去ったということで、新たに別の脅威が世界を襲い始めたのである。
それが音楽の『暴走』である。
音を発生する機械たちは全てAIで管理され動いていたが、それらが突如として人間の制御を離れ、人間に対して牙をむいた。
機械たちは、爆音、騒音を大音量で世界中にまき散らし始めた。
音は空気中を伝わる波である。それは想像以上の破壊力を持ち、建造物を崩し、人間の健康をも損ねていった。
音楽はいつしか音苦となり、世界を蝕んでいった。
そこで再び世界を取り戻すために結成されたのが、天籟(てんらい)という組織である。
天籟はいくつかの部隊を持ち、それぞれが暴走する爆音機械、通称キコクの破壊や停止を任務とする。
今回セインが就いた任務が、空中移動型キコクの停止だった。
空から地上に向けて音を降り注がせる厄介な代物に、部隊の仲間たちと協力してセイン単独で乗り込んだ。
特殊なスーツに身を包んでいても全身が壊されそうな強烈な音の波を乗り越えて、そして今に至るというわけだ。
「あー、静かだ」
迎えが来るまであと10分少々。セインはこの静寂をただ楽しんでいた。

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