アウトライナーフリーク的個人年表 1975〜2003
1975〜1979
小学校1年から父親の仕事の都合でアメリカ在住。平日は現地の学校に、土曜日は日本人学校に通う。
日本語学校の作文の授業で「思ったことをその通りに書きなさい」と言われ、思ったことを思った順に書いたところ怒られる。「海が好きです」と書いた直後に「海がきらいです」と書いてあったため。頭にはまさにその通りに浮かんだのだった。書くべきことと書くべきでないこと、書く順番があることを知る。
現地校の校長秘書デボラさんが、色とりどりのインデックスカードとタイプライターを使って魔法のように文章を組み立てるのをほれぼれと眺める。あまりにほれぼれと眺めていたせいか、デボラさんから色つきのカードを何枚かもらう。
早く大人になってカードとタイプライターで作文を書きたいと思う。
1980年
帰国し日本の小学校5年生に編入。
作文の授業で、原稿用紙に書く前に切り取り式のメモ用紙に下書きしていたら「落書きをするな」と叱られる。下書きであることを主張すると「それでは作文の練習にならない」と言われる。
書くこと自体はいくらでも思いつくが制御することができない。
1981年
周囲に大人しかいない環境で育ち、大人の本ばかり読んでいたせいか細部の(褒められそうな)表現だけ変にうまい中学生になる。
いくらでも書けるが制御できないのは相変わらず。それでも細部の(褒められそうな)表現が評価されたのか、作文コンクールで賞をもらう。
1982年〜1986年
交換日記などにおいて、異性への好意の伝達を目的とした表現を追求する。
1987年
大学に入学。アルバイト先の先輩に感化され、他大学の演劇部に出入りするようになる。
1988年
芝居の台本を書くため何年ぶりかで原稿用紙を買う。
場面はいくらでも思いつくものの一本に繋げることができず、小学生の作文からまったく進歩していないことに衝撃を受ける。仕方なく場面を適当にただ並べたら「繋ぎが面白い」と言われる。
面白いと言われた台本を普通の文章にしようと試みるが、拡散するばかりで収束できない。「書く」ことと「書き終わる」ことの違いを痛感する。芝居では演出と演技の力で「終われていた」だけだった。
大学の授業でレポートの「アウトライン」を事前に作るという方法を教えられ、「そんな方法があったのか」と衝撃を受ける。
これで「文章を書き終われない問題」は解決したと思うが、レポートのアウトラインを文章化しようとしたところ「いくらアウトラインを作ってもその通りには書けない」ことを知り、衝撃を受ける。
はじめてワープロを購入。もちろん当時は専用機。秋葉原のロケット電器のエスカレーター脇で埃をかぶっていた展示処分品の小さなワープロだった。書いたことをいくらでも修正できるワープロは、まさに自分のためにあるような道具だと思う。
このおもちゃのようなワープロでタッチタイピングを身につけるが、惜しむらくはJISカナ入力だったこと(今も後悔している)。
木村泉『ワープロ徹底入門』を通じて梅棹忠夫『知的生産の技術』を知る。こういう手法が日本にもあったこと、しかもけっこう有名なはずなのにそれまで一切耳にしたことがなかったことに衝撃を受ける。「こざね法」って学校で「落書き」って言われたやつじゃないか。
1989年
音楽雑誌を通じて「マッキントッシュ」というパソコンの存在を知る。神保町の楽器店ではじめて実物に触り、いつかこれを机に置きたいと思う。
富士通のワープロ専用機OASYSのパンフレットを通じて「アウトラインプロセッサ」なるものの存在を知り、興味をひかれる。
アウトラインプロセッサについて調べるうちに、奥出直人『思考のエンジン』と『物書きがコンピュータに出会うとき』に出会い、アウトラインはコンピュータに載せてこそ威力を発揮することを知る。
アウトラインプロセッサ機能が決め手になり、お年玉とアルバイト代をはたいてOASYSを購入。30SXという、個人向けラインの上位機種だった。マッキントッシュの世界に多くの優れたアウトラインプロセッサがあることは知っていたが、当時最低でも40万くらいはかかったのでさすがに無理。
1990年
アウトラインプロセッサについての資料を集めまくる。その過程でパーソナルコンピュータとその文化全般に魅せられる。当時の英文ワープロが日本語ワープロよりもはるかに進んだ執筆支援機能を備えていることを知り、強い憧れを抱く。アウトライン機能もそのひとつだった。
卒論をOASYSで書く。『思考のエンジン』で読んだような使い方は無理だったが、アウトライン機能のおかげで少なくとも「書き終わる」ことはできた(今の大学なら到底通用しないレベルだったと思うけれど)。
1991年
電機メーカー系のソフト開発会社に就職する。
コンピュータの会社なのに個人で使えるコンピュータがないことに衝撃を受ける。
コーディング用紙に鉛筆でCOBOLとJCLを書き、端末室に行って入力し、プリントアウト上でデバッグし、センターに電話をかけて実行を依頼する。
当時すでにOASYSで考えをまとめることに慣れていたので職場でそれができないのは辛かった。タスクリストや仕事のメモを家のOASYSのアウトライン機能でまとめてはプリントアウトして持ち歩く。
1992年
別のそのせいではないがソフト開発会社を退社。
ビックカメラ横浜店で展示品処分価格10万円で売っていたMacintosh Classicを購入。同時にアウトライナーも入手。
最初に買ったアウトライナーはアウトラインと各トピックの内容を別ウィンドウ(別ペインではなく)に表示するタイプで、自分の使い方には合わなかった。この製品の名前は忘れてしまった。アシスト社が販売していた廉価品で、中身はMac用日本語ソフトの老舗だったブリッジ社のTurboLinerそのものだったと思う。
最初のアウトライナーに満足できず、すぐにActa 7を購入。初めて「本物の」アウトライナー体験をする。書きながらアウトラインを作り、アウトラインを作りながら書くうちに断片が収束して密度を上げてく快楽。
1993年
書店でアルバイトしつつ大学院入試の勉強を始める。Actaがノート整理に威力を発揮する。
木村泉『ワープロ作文技術』でデジタルライティングのなんたるかを学ぶ。
アウトライン機能をワープロに統合したMicrosoft Wordの日本語版を待ち焦がれる。待ちきれず、日本橋の丸善で英語版Wordのマニュアル本を購入して読みふける。読めば読むほど日本のワープロとはかけ離れた「長文作成をアシストする」思想に感銘を受ける。
Mac版のExcelはすでに日本語化されているのだからWordもそのうちに……と思っていたら、あろうことかWindows版Wordの日本語版が発売されて衝撃を受ける。
1994年
書店員の特権を生かしてデジタルライティング関連の本を注文しまくり、自ら購入する。この頃はそういう本がたくさんあった。特にアスキー、ジャストシステム出版の本にはお世話になった。
某大学社会学部の修士課程に入学。
Macintosh LC475を購入。
英文ワープロの思想に憧れてWordPerfectやSolo Writer(Nisusの日本語版)などを購入する。それぞれに優れたワープロだったが、使えば使うほど求めているのはWordの機能(アウトラインと連動するスタイルシート)であることを痛感する。
書籍の抜き書き(場合によっては全文)をアウトライナーに取り込む。本の構造を手に取るように把握できるだけでなく、解体して自分の視点で組み替えてしまうことさえできる。「本に対するリスペクトがない」と言われたが、昔から行われてきた「読書カードを取る」という行為は、まさに本の構造を自分のために解体・再構築することであり、それと同じだと反論する。
一方、自前の文章を書く段になると、アウトライナーさえあればまとまった長文が簡単に書けるわけではないことをまたしても痛感する。
Mac用のInspirationを購入。ダイアグラムとアウトラインを相互変換する機能は楽しかったが、どちらかというと発想支援を目的とした機能だと感じる。
MOREが日本語化されたので購入。『物書きがコンピュータに出会うとき』以来Wordと並ぶ憧れのソフトだったが、日本語対応が中途半端でインライン入力もできず、深く使い込むことはなかった。
1995年
念願のMac版Wordの日本語版が発売される。秋葉原に朝イチ(ほとんど始発に乗る勢いで)で駆けつけ購入するが、そんな人間は他に一人もいなかった。
Windows版をUIもそのままに移植したMac版Word 6にはWord 5までのエレガントさが感じられなかった上に、LC475にはちょっと荷が重すぎた。さらにモニターの解像度に対してツールバーがでかすぎた。
それはそれとして、この時期のマイクロソフト製品のマニュアルは素晴らしいもので、持ち歩いて読み物として読みふける。
Wordのアウトライン機能とスタイル機能まわりに精通する。
秋、緒事情(結婚とも言う)により大学院を休学し、社長を含め社員3人という小さな会社に入社する。
1996年
Macintosh Performa 5320を購入。ようやくWordを実用的なスピードで使えるようになる。付属していたClaris Worksのアウトライン機能もシンプルで使いやすくなかなかのものだった。
新しい職場では長文の報告書を書く機会が多かったが、そのために導入されていたのはあのワープロ専用機OASYSだった。
というわけで、仕事で再びOASYSのアウトライン機能のお世話になるが、すでにActaやWordを知ってしまった身にはOASYSは辛かった。
社長のレビューを受けた文書で、アウトライン設定が削除されてしまうという問題も頻発。アウトライン機能を知らない人と文書を共有する際の問題を思い知らされる(今もWord文書でこの問題は発生する)。
パソコンを導入しましょう、ワープロ専用機の時代じゃないですと何度も社長に掛け合った結果WindowsPCとワープロソフトが導入されるが、それは「OASYS/Win」というOASYSの機能と操作性をWindows上で再現したワープロだったので衝撃を受ける。
1997年
自腹で買ったWindows版Wordを会社のPCに勝手にインストールする。まだそういうことができた牧歌的な時代だった。ちなみに当時のWordは5万円くらいしました。
「Tak.さんが突然成長した」と社長に驚かれるが、仕事でWordのアウトライン機能を使えるようになっただけです。
プライベートでPowerBook 2400cを購入。出先でアウトライナーを使えるようになる。
1998年
諸事情で通勤が困難になったので小さな会社を退社し、フリーランスになる。とりあえずは元いた会社から仕事をもらう。
PowerBook で仕事できるようになったので驚異の生産性を発揮するが、他の会社からも仕事を請ける機会が徐々に増え、それにつれてWindows版Office書類との互換性に悩まされる。
1999年
メインのPCをWindows機に(新橋にあったショップの激安ノーブランド品)。直接的にはOffice書類の互換性問題に音を上げて、間接的にはこの時期のMacにうんざりして。この頃はWindowsの方が圧倒的に良く見えたのだった。
Windowsに移行していちばん困ったのはActaが使えないことだった。Wordのアウトラインモードを使えばいいだろうと思っていたのだが、文章を考えながら書こうとしても、あの「断片が収束していく」感覚がない。報告書やレポートを「作る」ことだけをしていては気づかないポイントだった。
Windowsに多い2ペイン型のアウトライナーもいろいろ試すが、やはり断片が収束していく感覚はなかった。唯一Solだけが例外だった(そもそもActaを意識して作られたようだ)。
2000年
外仕事用にNECモバイルギアのWindows CE搭載版を購入し、付属のCE版Wordによって「電車の中でアウトライナーを使う」夢が実現する。
ライター系の仕事が増え、WZ Editorを使うようになる。秀丸と並ぶWindows用の老舗エディタだが、WZにはアウトライン機能があるのだった(今は秀丸にもある)。やはり2ペイン型で「断片が収束する感じ」はなかったが、強力なテキストエディタとアウトラインの組み合わせにはずいぶん助けられた。WZにはWindows CE版もあったのでそれも購入。
2001年
某社の社内報の編集・ライティングの仕事を請け負う中で、プレーンな文章を書くアウトライン・プロセッシングの技法をWordで確立しはじめる。
文節単位に細かく区切りながらリズムに乗って入力し、アウトラインモードの機能を使って後から入れ替える方法もこの頃から。
ライター系の仕事のやり方が確立してくる一方で、書くことやコンピュータに対する情熱が次第に薄れていくことを感じる。
2002年
英語圏のアウトライナーについて調べるうちに、Ecco Proという素晴らしいアウトライナーがあることを知るが、残念ながら日本語が使えないのだった。
アウトライナー関連の英文サイトをあさるうちに、Outliner.comを発見する。なんと最初のアウトライナーであるThinkTank、そしてあのMOREを開発したデイブ・ワイナーのサイトだった。同時にワイナーのブログScripting Newsも発見。世界最古のブログのひとつ。当時はまだブログという言葉はなく、ウェブログと呼ばれていた。
80年代のアウトライナーへの思いが蘇り、あらためてWindows上の好みのアウトライナーを探し始めるが、SolとInspiration以外に自分に合ったものは見つからず。Windowsは2ペイン文化なのだ(2ペイン型のアウトライナーが悪いわけではない)。
日本で主流だった「アウトラインプロセッサ」ではなく、英語圏で主流の「アウトライナー」という表記を意識して使うようになったのはこの頃から。もともと「アウトラインプロセッサ」という言葉の大仰な感じに違和感を抱いていたのだった。
2003年
仕事先に向かう途中の都営三田線の芝公園駅のホームで「アウトライナーについての本を書こう」と思いたつ。
出版の当てがないまま本のアウトラインを何回か作り、内容の一部を当時の仕事仲間が発行していたメルマガで連載する。
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後編はこちら。
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アウトライナーライフ
アウトライナーのエバンジェリストTak.がお届けする、アウトライナー(アウトラインプロセッサ)を活用して文章を書き、考え、生活するマガジン…
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