その人はそれ以上の存在だ。
人はレッテルを貼りたがる。なぜか?
脳が「理解できない」ことに耐えられないからだ。
「理解できない」を怖れるようにできているからだ。
レッテルを貼ってしまえば「これはこういうものだ」となんとなく理解した気になれる。そうすることで「得体のしれないもの」を減らし、安心感を獲得しようとする。
坂本龍一氏。
稀代の音楽家を説明するのに、いろんな表現があるだろう。僕の表現では「音楽的冒険に果敢にチャレンジしてきた人」ということになる。
その例として”YOU DO ME”という曲を聴いて欲しい。
伝統的な「沖縄民謡」と、ブラックミュージックである「ファンク」を足し算し、プリンスファミリーのアメリカ人女性、ジル・ジョーンズのボーカルを重ね、「オネガイシーマス」とたどたどしい日本語まで喋らせる。
そのグルーヴは違和感と統一感がざわめいている。
この曲は坂本龍一氏の代表曲ではないし、海外版のアルバムとベスト盤にしか入っていない曲だけど、2023年に聴いても「鮮烈」であり、時代性は皆無だろう。何よりもこの組み合わせを見事に成立させた音楽は、現代音楽の歴史がスタートして以来、おそらく初めてだったはずだ。
こんなに音楽的にアグレッシブでイノベイティブな面もあるにも関わらず、
「坂本龍一といえばピアノを弾いてる高尚な音楽家」的なイメージが、追悼番組やニュースでも流布されてしまう。
もっと広く、もっと深く、もっと複雑で、もっと多様なのに、それらはトリミングされ、わかりやすい「肩書」や「タグ」だけが流布されてしまう。
仕方がない、そういうものだ、と大人は言うのかも知れないけれど、そんな状況を見ていると、僕は大声で叫びたくなる。
その人はそれ以上の存在だ、と。