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最短、最速のこたえはもう出てるのに
たとえばマックスで50キロのバーベルを挙げられる、としよう。
100キロのバーベルを挙げられるようになるには、どうしたらいいだろう?
こたえは50キロの次に50.5キロを挙げれるようになることだ。
50.5キロが挙がるようになったら、51キロを挙げれるようになることだ。
目盛りはもっと細かくてもいい。
とにかく小さく、小さく、ステップ・バイ・ステップで、時間をかけながら丁寧に積み上げていくしかない。
そしてそれが最短距離であり、最速の方法でもある。
だけど現実場面において、
100キロをいきなり挙げようとしていないだろうか?
100キロの効率のよい挙げ方を検索しまくってないだろうか?
100キロ挙がります、のセミナーや広告に引っかかっていないだろうか?
最短、最速のこたえはもう出てるのに、
もっといい方法を探すのに時間を浪費してしまうこと、僕はある。
そんな暇があれば、50にプラスする0.5をさっさとセットして、
「50.5を挙げられる自分」になればいいのに。
「もっと合理的で、誰も知らない最短距離があるんじゃないか?」と期待して、どんどん最短・最速から遠ざかってしまうのだ。
50から100にいきなり行くことはできない。
50から、50.5に。いや、恥を忍んで50.25をセットする。
あ、僕は「急がば回れ」とか、「地道な努力が大切」とか言いたいわけじゃない
「小さく、小さく、超えていく」
それこそが最短・最速の法則だと脳に認識させたほうが、実現の可能性が高まるんじゃないか、と思うのだ。
・少しでも、超えていきたい。