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書き換える希望
最近、アマゾンで、一つ星でレビューを書かれているのを目にした。
そのレビューは、著者である僕が「何を言いたいのかよくわからなかった」ということだった。
僕がキミに言いたいことはただひとつ。
「僕の書は、匿名の評論家にはわからないように書いてあるんだ。だからキミのレビューは、読者の範囲がキミである限りにおいて正解だと思う」
とまあ、それはそれとして。
何かを世に問えば、それに対してネガティヴな意見やコメントをもらうのは当然だ。僕なんかは「何をやっても文句さえも書かれない」という完全無視の時期も経験しているので、リアクションがあることは、何も無いよりマシかな、と思えるけれど。
それでも匿名レビューには酷いのがたくさんあって、中には「これ、作者の心が折れるんじゃないか?」と懸念されるものもあるから、匿名で書きたい放題、というのは、どうかと思うなぁ。
僕の場合、「それは残念だなぁ」と感じた場合は、一般化して、多くの人たちが手に取りやすい形に書き換えることがある。
たとえば・・・僕は今回のレビューを受けて、このような言葉を綴ってみた。
重いバーベルが挙がらないのは、そのバーベルが重すぎるからじゃなくて、まだ筋力が伴っていないからだ。それを「このバーベルは重すぎる」と文句を言ってどうするのだ?
— 二重作 拓也 (@takuyafutaesaku) September 22, 2023
この文章が完成したとき、ホッとしたというか、ざわざわから離れられたというか、なんとなく折り合いがついたような気がした。小さな創造ができた、それが喜びにつながったのだと思う。
かんたんに「なにかコツがあるんですか?」というのも、ちがいますよねー。 https://t.co/ZWzzhh1Fez
— 糸井 重里 (@itoi_shigesato) September 22, 2023
このような連鎖も嬉しいことで。また思考が深まる気がする。(個人に反撃の投稿をしてるだけでは、この流れは生まれなかっただろう)
何かをやっていれば、「えーーー、マジかよ」ってことはどうしても起きるけれど、
マイナスの刺激を、創造の資源として、前進のエネルギーとして、飛躍の浮力として、もっと上手に利用できるようになったら、きっと心軽く過ごせるんじゃないか?
僕には、そんな書き換える希望がある。
僕らがみんなもっている書き換える自由と共に。
PS. 書けば、書き換えられる。パフォーマンスは変えられる。