みんな「何かの代表」だ。
僕はビートルズ直撃世代ではない。
リアルタイムで聴いてきた洋楽は80年代、そして90年代が中心で、その頃にはビートルズは活動していなかった。むしろ次世代がビートルズを超えるべく奮闘していた時期だったから、ビートルズは前の世代を代表する「壁」みたいな存在だった。
当時はスタンダード化していたから、「親たちが眉をひそめるような音楽」ではなかった。あまりにメジャー過ぎて、評価も確立していて、思春期に好んで聴くいわゆる「背徳感」が希薄な時代だったのだ。
なので僕はビートルズを真剣に聴いてこなかったし、正直、思いっ切り感動したこともない。
だが・・・
たとえば糸井重里さんが語るビートルズとか、ポール・マッカートニーの話、これはもうメチャクチャ大好物なのだ。
「へー!ビートルズってそんな存在だったんですねー!」
「えー!全然知らなかったけど、僕らも影響受けちゃってるんですね!」
音楽だけを聴いていたらわからなかった魅力が、ビートルズを大好きな人の解説や説明を聞くと、グワンとわかるような気がするし、楽曲が膨大過ぎて何から手をつけていいのかわからないニワカに対して、聴いてみるきっかけとなるキーワードを与えてくれる。
たとえば超有名曲、マジカル・ミステリー・ツアー。演奏している楽器を右と左に振り分けている。つまり右と左で全く違う音が鳴っている。モノラルからステレオに「音楽の聴かれ方」が変わった時代ならではの「発明」が記録されていたりする。
こういう発見をすることで、「上の世代の優等生が聴くビートルズ」は、「今僕が聴いている音楽の基礎としてのビートルズ」に変わる、というわけだ。
そして何よりも「ビートルズのことを楽しそうに語るキラキラした姿」をみていると、こっちまで楽しくなってくる。
「ああ、ビートルズってそんなにワクワクさせてくれる存在なんだ。こんなに夢中になるんだ。きっと何かがあるんだろうな、僕が気づいていないだけで」
素直にそう思えることが素敵だ。
だからビートルズの話をしてくれてる時の糸井さんは、僕にとっては「伝道師」みたいになっている。伝道師の目線から見たビートルズがすごく魅力的に映る。逆にいえば、僕の目線では絶対に受信できなかった景色を見せてもらっている。
これは有り難いことし、伝道師に魅力があるから「僕にとってのビートルズ」は、「魅力ある伝道師が大好きなビートルズ」とイコールにもなる。
これ、もしすごく嫌なヤツがビートルズ大好きだったら、僕のビートルズの印象も輝くことはなかっただろう。
そういう意味では、僕らはいつも「何かの代表」だ。自覚的であっても、無自覚的であっても。
「僕が大好きな何か」を知らない人にとってみれば、「僕を通じて何かを知る」ことになってしまう。
それはなかなかに責任重大な話だ。だから、せめて「アイツが好きならロクなもんじゃねーな」と思われないように。大好きなヒーローたちの印象を汚すことがないように。
「何かの代表としての自意識」=プライドを落っことさないように気をつけようと思う。
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