少なくとも私はここに存在した。
権力者も隷属者も、GIVERもTAKERも、敵も味方も、みんな人だ。そして人である以上、どうしても逃れられないことがある。
それは「生まれて死ぬ」という原理原則。
こればっかりはもうどうしようもなくて。サバイヴするために発達してきた人間の脳は「終焉もある」ことも理解することになってしまった。こればっかりは「僕だけ例外」というわけにはいかないらしい。
だからこそ、かはわからないけれど、人は「生きた証」を望むのかも知れない。
何もかもが消え去ってしまうのが怖すぎるから。
生きてきたことに意味が無かったら空しすぎるから。
「少なくとも私はここに存在した」
と本人の代わりに、証明してくれる何かを創ろうとするのではないか。
そう考えると、あらゆる創造は未来にその人を物語ることになるのだろう。
僕が『強さの磨き方』を書いたのも、そのためだ。愛する子供たちが迷った時、自分自身と対話できるように。自分らしく生きられるように。僕の失敗から学べるように。僕の40代最後の記録として家に置いておきたい書として上梓した。
書には僕のヒーローたちもたくさん出てくる。子供たちには、僕を含む身近な人たちからだけでなく、遠く輝く偉大な人物たちからも、どんどん学んでほしい。なぜなら、そこには不変と普遍があるから。ここで、その一部を紹介させてほしい。
そして、もうひとつ。
坂本龍一氏も、デヴィッド・ボウイも、もうリアルタイムで話すことは無い。でも、作品の中で、作品への態度で、そして彼らの活動の歴史で、雄弁に語っている。その時々で感じたこと、伝えたかたこと、そして僕はこうやってきたんだよ、を開かれた形で残してくれている。私たちはいつでも彼らの叡智にアクセスすることができるのだ。
そして僕は僕なりに、作品や発信の中に記録したかった。彼らの芸術が僕自身にどれほどの影響を与えてきたかを。どれだけ空白を満たしてくれたかを。何度も立ち上がる希望をもらってきたかを。
いつか僕もリアルタイムで話せなくなるだろう。でも大丈夫。私たちはレコード(記録)に「LIVE(生)」を刻むことができるから。
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