未来視点
やるべきか、やらないべきか
判断に迷うことは無いだろうか?僕はしょっちゅう迷う。
「やらずに後悔するより、やって後悔したほうがいい」と言われるけれど、その方向だけだと「限られた時間とリソースを何にどういう風に投入するか」についての答えは出ないんじゃないか。
やるべきか、やらないべきか、を判断するとき、僕はかつて「過去の記憶」と「現在の感覚」を頼りにしていた気がする。
「やるか、やらないか」のお話を、過去の記憶に照らし合わせて「できるか、できないか」にスライドさせてしまい、「できそうならやる」「できなかった時の自分を見たくないからやらない」という気持ちが背景にあったと思う。
しかも「できるか、できないか」はやった際の『可能性の話』なのに、日本語では往々にして「できるか、できないか」はやる前の『能力の話』にすり替わってしまう。
そこで僕はあるときから、
「これ、未来から見たらどうか?」と発想するようにした。いったん視点を未来に置いてみて「あんときこれをやっておいてよかった」と思えそうかどうか。つまり
「これをやっておくと、のちのち話のネタになるだろうな」
とか
「こんなアホなことをやってしまう人はそうそういないだろう」
とか
「ちょっときついかもしれないけど、あとで自由が拡がって面白くなりそう」
などの未来を感じられるのなら、それは「やるべき」と判断している。
だれも未来のことなんてわからないのだから、未来を設定してどうなる?と思われる方もいるかもしれないけど・・・、いえいえ、逆である。未来をデザインしながら進んでいけることに意味がある。未来に向けて脳をワクワクさせることができる。
この恩恵を受けないのはちょっと勿体ない気がする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?