視る‐02 「視る」とは
では「視る」とはどういうことでしょう? 旧約聖書の創世記に神が言ったとされる「光あれ」の言葉があります。その言葉通り、太陽光があって、その光刺激に対応した器官として進化・発達を遂げてきた器官、それが私たちの「眼」です。光が無ければ形も色も認識できないように、眼は光あっての器官なのです。
光の存在
「視る」は光が眼に飛び込むところからスタートします。「光の正体は何か?」これまでニュートン、アインシュタインまで、歴代の学者たちが実験に実験を重ねた結果、現代物理学において、光の正体は「粒子の性質と電磁波の性質をもった素粒子である光子(フォトン)である」と考えられています。シンプルにいうと、光も物体なのです。
粒であり波でもある光子(フォトン)は、眼に入ると、眼球の後ろ側にあるスクリーンのような場所、網膜に到達します。網膜はわずか0・2〜0・3㎜の薄さですが、ひとつの眼の網膜には1億個を超える「視細胞」が存在します。
視細胞は光による物理信号を、電気信号にする変換器としての役割を担っています。神経伝達は「電気信号」によってのみ行われるため、変換された電気信号は神経を通じて、脳の後ろ側にある視覚野に伝達され、そこで情報処理されて色や形を伴った「像」として認識されます。
ちなみに私たちが普段聴いている外部の音も、空気中では空気の振動、水中では水の振動として伝わり、物理信号が電気信号に変換されて、聴覚野で「音」として感じられます。真空状態では音が全く伝わらないように、光子が眼に届かなければ何も「像」は視えない(色も形も認識されない)ということになります。
色と形
ここで、色と形について考えてみましょう。シンプルに言ってしまえば、色も光の波長の脳内変換です。太陽光は無数の波長の光の集合体であり、私たちには白に感じられます。太陽といえば、赤やオレンジ、黄色のイメージがありますが、それらはあくまでも「地球から見た朝日や夕日の状態」であって、宇宙空間で撮影した太陽の光は限りなく真っ白です。
逆に光が少ない場合は、どんどん黒に近づいて感じられます。宇宙空間にあるブラックホールは、物質である光子も脱出できないほど、高密度で強い重力があるため限りなくブラックなのです。厚手のアイマスクで目隠ししたら何も視えないのは、光が眼に到達しないから。かなり薄いハンカチで目隠ししても向こうがなんとなく透けて視えるのは、光が薄いハンカチを透過して眼に到達するから。暗い夜に川の近くを飛ぶ蛍の光が視えるのは、発光による光が眼に届いているからです。
そして光は物体にぶつかると「吸収」「透過」「反射」「散乱」など、いろんな反応を起こします。物体は、いろんな波長の光を吸収し、一定の波長を反射します。その光の反射を私たちの眼が受け取り、脳内で色と形を感じています。たとえば目の前に「赤いリンゴ」があるとします。
赤いリンゴとは、
A:人間の脳には赤として認識される波長(640~770㎚)を反射し、
B:それ以外の可視的な波長を吸収する物体
ということになります。赤いリンゴの正体は「物体が反射した赤と認識される波長の光」を脳が処理したものだったのです。
人間は「光と闇の世界」に生きていて、それぞれの脳で光の情報に「色」や「形」を与えている。白はいろんな光の集合体であり、黒は光が無い時に脳が認識する黒い世界である。ある物体は、ある物体に反射した光が眼に入り、視覚野で認識された像である。私たちは目の前の景色を脳で再構築した景色を視ている。
「視る」の原理から考えると、そのように言えるかもしれません。(『可能性にアクセスするパフォーマンス医学』より)
医学的背景共有の実験として
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