修羅の国
生まれ故郷、北九州を飛び出して、もうすぐ30年になる。正直、帰郷する度に、地域全体の高齢化を感じる。気がつけば、かつての娯楽施設やレストランが、老健やリハビリセンターに変わっている。
あの有名な室生犀星の詩を持ち出すまでもなく、上京してからのほうが、地元を想う気持ちが強くなってしまった。
たしかにこの30年、どこかで「オレは北九州代表としてここにやってきた」という想いはあった。見た目はもちろん、マインドの部分でもどこか東京人になり切れなかったし、やはり関東適応型北九州人として生きてきた部分はあると思う。
北九州に帰って働きたいのかと言えば、そうではない。たまに遊びに帰郷するとか、イベントで戻るぐらいの感覚がいい。
都心近くに住んでいるというのは、いろんな意味で「地の利」ではあって、イベント、ライヴや観劇、取材や収録などのチャンスがあるのは、やはりこっちということになる。
だけど、なのか、だからこそなのか、整理がついていないけれど、東京近くにいながら、少しでも地元北九州を応援したい。最近、そう思うようになってきた。
ひとつは糸井さん、ほぼ日さんの前橋BOOKFESでの盛り上がりを目の当たりにしたこと。
もうひとつは白崎映美さんの酒田市での還暦大感謝祭を観に行ったこと。
おふたりとも
「いまの立ち位置だから出来ることを最大限にやって地元を盛り上げている」
少なくとも僕にはそのように映った。
言うの簡単、やるのは相当大変だと思うけれど、それでも一生懸命取り組む姿は眩しく光輝いていて、単純に「大人としてカッコイイ」って思った。
その何千分の、何万分の1未満に過ぎないけれど、地元北九州で最大規模の書店、「クエスト小倉本店」で、僕が最近出した書籍のコーナーができた。
土地柄、人を強い/弱いでジャッジしがちな修羅の国。そんな環境だったから「強くなる」は必然的な命題だった。「はい、僕は進学校なのでケンカはできません。カツアゲにも応じられません。だって進学校なんですから」10代の実力社会では、こんなプライドは何の意味を持たない。生き物として強いかどうか。まずはここが問われる。ケンカを売られること自体が、「勝てる」って思われているんだよ。僕自身のテーマである、格闘技医学、そして強さの磨き方が生まれたのも、北九州オリジンゆえだろう。
高校時代は、思いっきりリーゼントの連中や剃り込み入れた他校の連中とよく試合してたな。みんな見た目は派手だったけど、カラテの試合に出てくる勇気のあるヤンキーたちはどこか素直で憎めないところがあった。試合終わって仲良くなって、一緒に練習するようになったりで。上の人がいるときだけ良い子を演じる中途半端な(小賢しい)おぼっちゃんたちより、「いつもリーゼントの連中」のほうがよっぽど男前が揃ってたな。
修羅の国で生まれた「強さへの情景」。
恩返し、というほど大きなことはできないけれど、地元を僕のできることで積極的に応援していこうと思う。
前進するのに、面白そうな理由が加わった。
ここからいくつかのプロジェクトが動きそうだ。